フラッシュポイントロゴ

 Ruby's Flashpoint 

  美術鑑賞 


top美術鑑賞 > 美術鑑賞 2021年

  美術鑑賞 2021年 ・ 令和3年
鑑賞日:2021年 1月15日
会 場:AAAギャラリー

  AAAギャラリーグレイ  AAAギャラリー夜

アパートをリフォームしてギャラリーにしたような、ちょっと落ち着く可愛らしいギャラリーでした。

『Grey展』『夜展』は同じ会場の別のスペースで展示されていました。どちらもグループ展です。

『Grey展』は文字通りグレイを色調にした作品が並びます。空閑さんの作品はとても美しく、目を引きました。

『夜展』は深夜の世界や漆黒の空を表現した作品、夢の中を表現した作品が並びます。そんな中、水巻うぱさんの作品は純粋に睡眠を表現していて癒されます。

鑑賞日:2021年 2月17日
会 場:高島屋日本橋店

昔から大好きなデパート、高島屋。こんなに長い間お気に入りのデパートだったのに友の会に入会したのは今年に入ってから。そして。そこで行われているサロンに参加してきました。数あるサロンの中で私が興味あったのはこの講座でした。

高島屋の美術部顧問、中澤一雄さんによる、高島屋と画家の関係にスポットを当てた講座です。呉服屋からスタートした高島屋。着物の図案を画家に依頼することから関係が始まります。画家との関係には持ちつ持たれつがあったようで、時には生活に困った画家を助けることもあったそう。三越も同じように画家をサポートしていたようなので、高島屋・三越両百貨店が画家を育てた一面もあったのでしょうね。

高島屋に美術部ができたのは明治44年に遡ります。その2年前、明治42年高島屋大阪心斎橋店で「現代名家百幅画会」が行われました。この展覧会に出品した画家は実に豪華で横山大観、菱田春草、川合玉堂、富岡鉄斎、上村松園など。高島屋はここで美術品に需要があることを知ります。またこの時に出品されていた竹内栖鳳の作品『小心大胆』(へちまの軸)が、創業家の飯田家にお嫁に入った女性が持っていて、高島屋に寄贈したことも大きかったようです。

その後も高島屋は積極的に買い求めたわけではなくとも、画家との関係性から多くの作品が手元に残ったということです。中澤さんは『小心大胆』との再会をご縁と仰っていました。その他多くのご縁もあり美術部が出来た様です。中澤さんは竹内栖鳳の作品『アレ夕立に』うちの看板娘と仰っていました。なんか、美術品に愛情があって素敵な言葉ですね。

その後は高島屋の美術画廊へ移動し、少しお話を聞き、そのまま画廊内で解散になりました。とても上品で大変な記憶力の中澤さん。豊富な知識のお裾分けをいただきました。

2013年に世田谷美術館で行われた『暮らしと美術と高島屋』を鑑賞しましたが、その前に本講座を受講できたらよかったな。この講座で強く思ったのは、無知だと損する! もっと美術を勉強しよう!

鑑賞日:2021年 2月17日
会 場:高島屋資料館TOKYO 4階展示室

装飾をひもとく装飾をひもとく
『画廊へのお誘い』の後、エレベーター脇のデジタルサイネージに誘われて見てきました。日本橋に残る建築物にスポットライトを当てた展示でした。

一坪(?)ほどの狭い狭い展示室に高島屋の模型、日本橋の古典主義の建築物の写真、デザイン画などが展示されていました。かなりマニアックな展示内容で、ちょっと興味がある程度の無学な私が入り込んで申し訳ないくらいでしたが、非常に面白かったです。

本展に図録はなかったのですが図録がわりの書籍があり、これがまた本展に輪をかけて細かくマニアックでした。高島屋をメインに、日本橋の建築物の紹介です。本を持ち歩き、確認しながら日本橋を散歩するのも楽しそうです。(ちなみに私は渡辺仁デザインの銀座和光も好きです。少々痛みの激しい部分も見受けられますが)

・・・・・・・・・・・・・

日本橋高島屋は昭和8年、1933年に竣工。設計はコンペだったらしく、高橋貞太郎、片岡安、前田健二郎の3人の名があります。(高橋貞太郎は学士会館も設計しています)イタリア産の大理石が美しい。重要文化財です。増築部分は村野藤吾です。
ちなみに日本橋三越は1914年に横河民輔により建設されました。こちらも重要文化財です。

鑑賞日:2021年 3月9日
会 場:トタン

春の部屋春の部屋佐々木彩音さんと渡辺真悠さんの作品展。2017年に鑑賞した『メリークリスマス』と同じお二人の作品展で、テキスタイルとアニメーション作品。

会場は谷中のトタン。一軒家がギャラリーとして使われていました。狭小住宅で、2階は6畳一間のみ。その狭さが逆に二人の世界観をうまく演出していました。

佐々木彩音さんのテキスタイル作品、綿で花びらなどを作り出しています。まるで布地からプリントの絵が飛び出した様。ふわっと柔らかな春を見せてくれました。

渡辺真悠さんの映像作品は大変ユニークで、これまで見たことがない表現でした。渡辺さんの作品は3点。1階での映像は淡い色で、緩い輪郭で、風景を表現しているように見えました。

2階には2作品ありました。どちらも大変興味深かった。畳の上に置かれたタブレットに映し出された映像作品は、ゆらゆらと揺れる水面の奥底に真珠がキラキラと光っているように見えました。なんとも不思議な映像で、明治神宮にある清正井を思い出しました。

もう一つの作品もかなり興味深かった。その作品は押し入れの中にありました。襖をそーっと開けて覗き込むと、そこにユニークなアニメーションが映し出されていました。アニメーションは、泡のような、風に舞う花びらのような小さく細かな粒たちが、花火のように放射状に広がったり噴水のように揺れ動いたりするもの。ゆっくりとふんわりと繰り返される動きに癒されます。そしてこの作品のすごいところは、押し入れの壁の手前にいくつものプレート(鏡かな?)を置いて反射させ、一方向の壁だけでなくプロジェクターをぐるっと囲った360度に映像を映し出しているところ。暗闇であるはずの押し入れの中に、小さな宇宙を作り出していました。前回の作品展『メリークリスマス』で見た映像作品も可愛らしくて素敵でしたが、本展ではさらにアーティスティックになっていて素晴らしいと思いました。

鑑賞日:2021年 3月10日
会 場:湯島天満宮 宝物殿

桜の開花が待たれるこの時期。菅原道真が愛した梅はもう終わってしまいましたが、宝物殿にはたくさんの梅が咲き誇っていました。

割引券をいただき、初めて入った湯島天神宝物殿。1階は御神輿が並び、地下にたくさんの日本画が並んでいました。入り口すぐに龍がお出迎え。顔のアップだけでしたが、やっぱり私は龍が好きです。

横山大観、伊東深水、など日本画のビックネームが並びます。先日『画廊へのお誘い』で初めて名前を覚えた竹内栖鳳の作品もありました。たくさんの作品の中で私が一番気に入ったのは伊東深水の『梅』でした。花がとても美しかったです。

梅の絵の枝ぶりは、どなたの作品もまるで書道家が伸びやかに字を書くような大胆なものでした。(そういうものなのかな?)

広重が湯島を描いた名所江戸百景や刀もありました。時期により展示替えもある様なので貴重なお宝に出会えるかもしれません。

鑑賞日:2021年 3月15日
会 場:パナソニック汐留美術館

大学時代のクラスメイトが高砂香料に就職しました。化粧品も香水も全く興味がなかった当時の私は、応用化学科に在籍しながら高砂香料を知りませんでした。(調香師に憧れていたMちゃんはフレーバーに配属になったと落胆していました)30年以上前の話です。

香りの器 高砂コレクション展半券 香りの器 高砂コレクション展フライヤー 香りの器 高砂コレクション展フライヤー

本展は国内で最大手の香料メーカー、高砂香料工業株式会社のコレクションです。コレクションの一部は1993年『香りの美学展』、1995年『香りの美学展Ⅱ』で見ていますが、100%高砂香料だけの本展も、とても楽しみにしていました。

本展は、前半は海外の香り、後半は日本の香りと大きくふたつに別れていました。

海外の香りの器は時系列に並んでいました。紀元前からスタートです。綺麗に出土したガラス容器たち。その小ささに改めて驚きました。親指サイズのフラスコや試験管といった感じです。その小ささは香水の量に合わせた姿のはずで、非常に貴重で大事に扱われていたことがわかります。器は小さいながらも装飾がなされていて、高貴な身分の方々の持ち物だっただろうことも想像できます。

香りは香油や乳香から、17世紀に入るとアルコールと精油の現代の香水が出来上がります。香水瓶の装飾も美しく洗練されていきます。ガレやラリックの誇らしげな香水瓶はたとえ香水が入ってなくても芸術品です。

香水も入った化粧道具セットの展示品を見て、香水瓶や工房を追いかけている本展の中に、これらの化粧品を使いこなしたうえに香水もつけている”女性の姿”を見た気がしました。(テーブルに乱雑に置いてある展示を見て『The Rolling Stones EXHIBITIONISM』でのミックの楽屋のテーブルを思い出しました)

日本の香り、香道具も大変美しく、金や螺鈿の装飾が高貴な方々の持ち物だったことを物語っています。
話は逸れますが、私は1998年11月に一度だけ源氏香を体験したことがあります。香りを嗅ぎ分けるゲーム性の高い、また知識が問われる優雅でインテリジェンスな遊びです。香りを嗅ぎ分けるというよりも香りの中に入っていく感じです。香はしっとりと落ち着いたものが多く、ゆっくり呼吸することもあって、落ち着きます。(当たってるかな? というドキドキはありますが)主人は客の熟達度や季節なども考慮しなければならず、日本人の気質にあった粋な遊びだと思いました。道具もそうですが、香席も必要だし、お作法もあるし、そう簡単にはできないだろう源氏香、体験できてラッキーでした。

展示品に話を戻すと…。
木製の香時計は2015年セイコーミュージアム『きらめきと精度』でも同じ様なものを見ました。香盤時計は高さがあるのですが、本展では少し高い位置に展示されていたので見上げる形になってしまいました。

西洋の香水瓶も日本の香道のお道具も素敵だった本展。その中で新たに気付いたことが一つありました。それは高砂香料の創業者のお名前を知ったことです。

創業者、かいのしょうただ氏が昭和天皇御即位時に12本セット(1年12ヶ月用)の香水を献上しています。私が高砂香料を知ったのは大学生の時で、いきなり目の前に国内最大手の香料メーカーとしてドドーンと登場しました。しかしその高砂香料は大正9年に創業。甲斐荘楠香が欧米に遅れまいと化学の視点から香料を作り上げていきました。2019年に鑑賞した『明治150年記念 日本を変えた千の技術博』で見たような、暮らしをより良く豊かにするために尽力した人の一人だったのです。香りはファッションだけではなく健やかな生活を送るため、人間が生きていく上で欠かせないもの。いち早く工業化し社会に根付いた高砂香料。本展では社会への影響力の大きさと同時に、創業者の志を感じました。

鑑賞日:2021年 3月24日
会 場:根津美術館

日本画をもっと見てみたいと思っているときに絶好の組み合わせの展覧会に出会いました。でも…。
無知な私には、狩野派は美術品的で土佐派はもっと身近な挿絵的、そんな違いしかわかりませんでした。(汗)

 狩野派と土佐派フライヤー狩野派と土佐派フライヤー狩野派と土佐派半券

根津美術館狩野派は狩野正信から始まり400年あまり続く絵師集団。土佐派も同じ時代に活躍した絵師集団ですが、両派の略系図をいただき、それを見ると土佐派の方が狩野派よりも4代早く始まった様です。(4代だと100年位先かな?)

主に表舞台に立っていたのは狩野派の方で、注文をこなすために同じ画法の弟子が必要だった様です。影武者がいたコスタビとは意味合いが違います。

狩野派の屏風絵は大きさもありますが堂々としています。景色もお屋敷も俯瞰した絵があり、これは中国の美術にならったものなのでしょうか。また、うずらやうさぎなどの動物の絵はその毛並みがふわふわと表現されていて愛らしかったです。

根津美術館は鉄道王、根津嘉一郎邸宅跡地に開館しました。美しい庭園があり、桜も綺麗に咲いていました。現在の美術館は隈研吾さんにより立て替えられたものです。門扉から美術館入り口までのアプローチが大変美しい。同じく隈研吾さんが設計した明治神宮ミュージアムのカフェへ抜ける道にも似て、落ち着きがあります。

鑑賞日:2021年 3月26日
会 場:国立新美術館

初めてUNIQLOのロゴを見た時には驚きました。ロゴを見る以前、私のUNIQLOのイメージは関西のおばちゃん服。なぜならCMのおばちゃんが強烈に印象に残っていたから。(関西弁を話すおばちゃんがレジ付近で「返品して」と着ている服を次々脱いでいくCM)ハイセンスな6文字のアルファベットとおしゃれなモデル達がおばちゃんを消し去ってしまい、イメージを変えてきたなと思いました。

初めて国立新美術館のロゴを見た時、面白いな〜と思いました。建築家は黒川紀章さんだけどこのロゴデザインは誰だろう? そして今回、この二つのロゴが同じ人のデザインだと知りました。

本展はグラフィックデザイナーでディレクターの佐藤可士和さんの展覧会。誰もが知るところの仕事ぶりに、現在の日本のトップデザイナーなのだと教えられました。

佐藤可士和展フライヤー佐藤可士和展フライヤー佐藤可士和展フライヤー

エントランス入ってすぐ、目に飛び込んでくるのが大々的なSMAPの広告。私はSMAPのファンではありませんが、3色に彩られたSMAPのアルバムデザインを知っています。

その後に展開されるSMAP関連のグッズはとてもポップで遊び心があり、SMAPに思い入れのない私でもワクワクしてしまいました。これ、ファンの方なら全て集めて囲まれたいと思うのではないでしょうか。このわくわく感とスピード感は素晴らしいと思いました。

佐藤可士和展会場佐藤可士和展会場

ロゴデザインはその数の多さに驚くばかり。大企業のものが多く、お馴染みのロゴが並びます。ユニクロのイメージを一新させたロゴ、くら寿司の大漁旗を思い出させる力強いロゴ、そして今治タオルのロゴの美しさは目を見張ります。

佐藤可士和展会場佐藤可士和展会場

佐藤可士和展半券佐藤可士和展会場

田中一光さん佐藤卓さんの作品展でも「グラフィックデザイナーは経営コンサルタントでもある」と感じましたが、御多分に洩れず佐藤可士和さんも優れた経営コンサルタントでした。(今治タオルはかなり売り上げが上がったと聞いたことがあります)

セブン&アイのパッケージデザインは彼が手がけたもので、全てに統一感があります。
(でも、正直言って私はこの展開はあまり好きではありません。店内が広いイトーヨーカドーでは競合他社の商品も潤沢にあるのでセブン&アイの商品は差別化され綺麗ですが、店内が狭いセブンイレブンになると醸し出す雰囲気が変わります。競合他社の商品が極端に少なく、店内にデザインのばらつきがないので、セブン&アイ商品の品揃えに威圧を感じます。私だけかな?)

佐藤可士和展会場映像のブースはよくわからなかったのですが、丹青社との共同作業とのことでした。『ジャンプ展』を個性豊かで魅力的なディスプレイで見せてくれた丹青社。ディスプレイだけではなく映像作品もこなし、作品展の脇役でありながら名前が取り沙汰される。日本のトップクラスの企業ってことなんでしょうね。(話題の作品展に丹青あり、ってことですかね?)

右は楽天パンダとのコラボです。ちなみに楽天のロゴも佐藤可士和さんによるものです。

幼い頃からの作品も展示され、才能の変遷をも見せてもらいました。まだまだお若い方なので、今後のご活躍も本当に楽しみです。

ちなみに…
グッズは図録の他にパッケージデザインの美しさに惹かれて三輪山本のそうめんを購入しました。
私が子供の頃は「三輪そうめん山本」という企業名でした。商品開発をするにあたって「そうめん」にとらわれる事がないように「三輪山本」と改名を勧めたのが佐藤さんだったそうです。

鑑賞日:2021年 4月1日
会 場:たばこと塩の博物館

渋谷から移転したたば塩。墨田区に移転して初潜入です!

本展はインドのアートですが、古来からの作品ではなく、古来のアートを伝承した現代アーティストの作品展です。新潟にあるミティラー美術館の館長, 長谷川時夫さんがこれらのアートを後世に残すことと経済面の支援のために力を注いでいます。家の壁などに描いていた絵を紙に描くことで保存を可能にしています。

ミティラー美術館コレクション展フライヤーミティラー美術館コレクション展フライヤーミティラー美術館コレクション展半券

本展は「ミティラー画」「ワルリー画」「ゴンド画」「テラコッタ」と大きく4つに分かれていました。

ミティラー画はインドの東北部とネパールにまたがるミティラー地方で母から娘へと伝えられていた壁画です。かつてミティラー王国があり、壁画・床画は3000年に渡り続いていたそうです。描かれているのは主に神々です。家の壁に描く事で家庭を守るという意味があったのでしょうね。現代になり紙に描かれるモチーフは、神々はもちろん、自然や生活様式などです。描かれている神や動物など、とても愛らしい。明るい雰囲気にさくらももこさんの絵を思い出しました。また余白を残す事なく細かく絵を詰め込んでいく作品を見て『貴婦人と一角獣展』のタピスリーを思い出しました。

ワルリー画はインド西部に住む先住民族ワルリー族による壁画。展示品には壁に見立てた擬似壁に描かれていました。こちらは生活習慣と道徳色の濃い内容が描かれていました。

ゴンド画はインド中央に住む先住民族が残した民族画。現代アーティストによる本展の作品は虎や飛行機などすぐに商品化できそうなデザイン性が高いものでした。

売店には書籍のほか、ミティラーのオリジナル原画が販売していました。B5サイズほどの小さなものでした。

鑑賞日:2021年 4月10日
会 場: jing

16年前に開催されていた『ルイ・ヴィトン時空を超える意匠のたび展』を観に行けなかったので本展を楽しみにしていました。でも少し趣が違うかもしれません。本展はルイヴィトンとコラボしたアーティストとの作品展でした。

ヴィトン展

スーツケースのメーカー、ルイヴィトン。19世紀、海や陸の交通路が発達していく中、旅行カバンの需要は増えていったはず。当然顧客は富裕層だったはずで、タンスと見誤る大きなバッグに、富裕層からの信頼の厚さを感じました。当時は受注発注で製作されていたのでしょう。出品物は一点ものの様でした。

私が本展の中でいたく感動したのが、フェルメールの『牛乳を注ぐ女』を収納するために作られたバッグ。上野の森美術館で開催された『フェルメール展』のために発注されたバッグです。ヴィトンのケースからフェルメールが出てくるなんて!

ヴィトン展ヴィトン展ヴィトン展

旅行やピクニック用のトランクから化粧ケースまでと、旅に特化した商品を作っていたヴィトンはファッションブランドへと変貌します。

ヴィトン展ヴィトン展スカーフの展示はユニークでした。まるで絵画のように展示されていましたが作品間に脈絡はありません。公募展のように画風がバラバラなのですが、床や壁の強烈なヴィトンの文字に囲まれて、強制的な一体感(?)がありました。

その後ファッションデザイナーがコラボレーションしたバッグが並びます。ファッションブランドになったルイ・ヴィトン、当然ファッションデザイナーは同業他社のはずですがコラボに賛同しているところを見るとリスペクトされているのでしょう。カール・ラガーフェルドや草間彌生、村上隆などなど、賛同者は各方面に渡っています。

ヴィトン展ヴィトン展初めて川久保玲さんとのコラボバッグを見た時には本当に驚いたものでした。バッグに穴が空いているのです! なんとパンクな! これは人に見てもらうためのバッグだなと思いました。ファッション性を重視したバッグです。

ヴィトン展ヴィトン展ヴィトン展

ヴィトン展ヴィトン展ヴィトンはバッグだけにとどまらず、服飾も手がけるようになります。ここで山本寛斎の力が大きかったようです。

最後のブースには山本寛斎が作った服、数点が展示されていました。ヴィトンとは関係のない、過去に製作したコレクションの一部です。寛斎リスペクトってことでしょう。そこで登場するのがデヴィッド・ボウイのジャンプスーツです。あれ? これ『DAVID BOWIE is』には出展されてたっけ? デヴィッド・ボウイファンは本展を見るべきです!

本展は『マドモワゼル プリヴェ展 ガブリエル シャネルの世界へ』と同じように無料で完全予約制。館内撮影OKでフライヤー等の紙媒体が一切無し。違うところは、シャネル展の方が少し規模が大きく、ワークショップがあり、来場者に来場記念品がありました。同じ会社が企画運営しているのかな?

鑑賞日:2021年 4月12日
会 場:神田明神資料館2階展示室

大えびす様展2日前に見たのはルイ・ヴィトンとデザイナーとのコラボでしたが、本展は神田明神とエビスビール、異色のコラボ展です。ほぼほぼ毎晩エビスビールにお世話になってるので、やはり素通りできません。

大えびす様展神田明神の御祭神の一柱が恵比寿様です。エビスビールは昨年130周年でした。本展は昨年企画されましたがコロナ禍で延期、本年はれて開催の運びとなりました。

初めて入った神田明神の資料室。古い社殿で2階と3階が資料室になっていました。狭くて展示品も多くはありませんでしたが面白かった! 恵比寿様にまつわる展示品の解説とエビスビールの展示品の解説は違う方が担当されていたと思いますが、エビスビールの解説にはエビスビール愛が見えました♥

大えびす様展大えびす様展

恵比寿様のおさらい。諸説ありますが、恵比寿様は少彦名命(すくなひこなのみこと)だと言われています。商売繁盛、医薬健康、開運招福の神様です。(いやはや何とも縁起がいい!)少彦名命は酒造りの神様でもあります。(おお! なるほど〜)こんなことを言うと罰当たりですが、庶民に人気のある神様だったでしょうね。神影が常に笑顔で描かれているのも近しく感じます。

また『古事記』によると恵比寿様は小さなお姿の神様だったようです。

大えびす様展大えびす様展エビスビールは1890年に発売されました。初代の瓶から恵比寿様はにこやかに鎮座されています。

発売当初はコルクの栓で、明治45年(1912年)頃に王冠に代わったようです。王冠は1892年(明治25年)にアメリカで発明されましたが、日本では瓶の口の大きさや高さが不揃いですぐに導入できなかったそう。アメリカより20年遅れてます。

そしてここでうんちくが。王冠のギャザーの数は21個です。3点の固定でものを安定的に止められるらしく、その倍数である21個のギャザーが採用されたとのこと。ん? これ、どこかで見たことあるような…。2010年に埼玉県立近代美術館で見た『SWINGING LONDON 50's-60's』で足が3点の洒落た椅子があったような。3点で安定的に支えるっていうのは常識ですか? 知らなかったのは私だけ? ありがとう神田明神。ワタクシ学びました。

大えびす様展エビスビールの顔、ラベルの恵比寿様の元になった神影(西宮神社)がありました。また、恵比寿様が描かれた引札(チラシのこと)もありました。客を引き付けるから引札と呼ばれていたようです。

そしてまた勉強になったのは、恵比寿様と鯛の関係。釣りがお好きな神様だったことは間違いないようで、海の神様でもあるそう。魚群を岸に追い込み大漁をもたらした、海の幸を象徴する神様でもあります。庶民にとっては身近でありがたい神様ですね。また室町時代から明治にかけてえびす信仰を全国に布教していた宗教芸能者が、鯛を釣る恵比寿様の人形を舞わしながら祈祷し、神社を回ったそう。人間が認識した当初から恵比寿様は鯛と一緒だったのかもしれませんね。

大えびす様展大えびす様展大えびす様展

大えびす様展そして、エビスビールファンなら誰もが知る(!?)鯛2匹を釣り上げた恵比寿様の幻のラベル。通常恵比寿様は向かって右に鯛を抱えていますが、左の魚籠にももう一匹いて尾が見えるのです。こーんなに長い間、たっくさん飲んでいるのに出会ったことがありません。お中元やお歳暮の見本品では見たことがあるのですが、これは広告用なのかな? 一般には出回ってないの?

恵比寿様はとてもありがたい神様だと知り、エビスビールにますますの愛着が湧きました。ビックリマンチョコのおまけのような、かわいいシールもいただき、楽しかった!

そして…。
3階は常設展ということでこちらも見てきました。いきなり出迎えてくれたのはアニメ『ラブライブ!』のキャラクターたち。キャラクターの絵が入ったお守りも展示されていました。歴史のある神社ですが非常にユニークだと思います。

このフロアは神田明神の御祭神である平将門様が中心でした。平将門は見方によっては悪人でしょうが、地元民にはヒーローですよね。祟り神なんて言われ方は不名誉かもしれません。平将門ファン(神様にファンなんて言い方したらまずいか)も根強く、愛されていたことは令和の現在でもよくわかります。掛け軸などの資料の中、私がコーフンしたのが鎧でした。もちろん当時のものではありません。大河ドラマ撮影時使用のものです。て、ことは…。それって加藤剛が身に付けたやつ? 加藤剛の白い歯を見せた笑顔が思い浮かびます。あー、どこまでもミーハーな私。(『ラブライブ!』の聖地巡礼する方々の気持ち、ワタクシ非常によくわかります)

・・・・・・・・・・

大えびす様展大えびす様展神田明神は学生の頃2回、9年前に薪能鑑賞に来て今回で4回目。(右画像は薪能のチラシ)薪能を鑑賞した時にはなかった文化交流館という建物が建っていました。

文化交流館はホールの他、売店やカフェなど商業施設も入った会館です。恵比寿様や平将門様へタイムスリップ(?)していたのが急に現代に引き戻された感じです。出来たばかりで綺麗、平日だったこともあり、カフェでゆっくりさせてもらいました。

文化交流館脇には真新しい恵比寿様の御尊像がありました。現代的で美しいです。たくさんの魚たちが恵比寿様の周りに集まっています。
半日ゆっくり過ごし、将門煎餅と将門麦酒を買って帰りました。

鑑賞日:2021年 4月20日
会 場:松屋銀座8階イベントスクエア

アニメージュとジブリ展コロナ禍での本展。予約制で入場にも大変気を使われていて、場内もスムーズに見ることができました。

本展はアニメ雑誌の最古参アニメージュとスタジオジブリ創設の軌跡を追ったものであると同時に、スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫氏の仕事ぶりの軌跡でもあります。

私が子供の頃はアニメーションという言葉はなく、テレビ漫画と言われていました。テレビ漫画は子供が見るもの。漫画は子供が読むものと言われていました。その常識が覆ったのが『宇宙戦艦ヤマト』の登場だと言われています。

アニメージュとジブリ展当時『宇宙戦艦ヤマト』は大変な人気で大学生が支持しているとニュースでも報道されていました。それほど社会現象になっていたのです。その大きなムーブメントを察知した徳間書店がアニメに特化した雑誌を出版します。アニメージュです。

スタジオジブリのプロデューサー、鈴木敏夫氏は当時アニメージュの編集者で(のちの編集長)、アニメと製作者を深く取材し、雑誌に特集していきます。そこで宮崎駿、高畑勲の才能に出会います。

宮崎駿、高畑勲、小田部洋一、そして兄貴分の大塚康夫の存在とその作品は鈴木敏夫の胸を打ったようで、その後の映画『風の谷のナウシカ』制作に動きます。アニメージュが全面的にバックアップしていたのです。なので意外に思ったのですが『風の谷のナウシカ』はジブリの第一作目の映画ではありません。この作品の大ヒットがきっかけとなりスタジオジブリが出来たのです。スタジオジブリの記念すべき第一作目は『天空の城ラピュタ』なのだそうです。

その他には『機動戦士ガンダム』の富野由悠季さん、『うる星やつら』の押井守さんと深い交流があったようで、作品展示、ガンダムはジオラマの展示もありました。

アニメージュとジブリ展アニメージュとジブリ展アニメージュとジブリ展

アニメージュとジブリ展会場エントランスにはこれまでの雑誌の表紙のモビールがありました。私が好きだった『銀河鉄道999』『キャプテンハーロック』『サイボーグ009』などはここで出会えましたが、展示品の中にはありませんでした。

会場出口手前にはこれまでのジブリ作品のポスターが並んでいました。ここにナウシカはありません。なぜならジブリ作品ではないから。(その分会場内はナウシカだらけでしたが)

娘は『ルパン三世カリオストロの城』のクラリスの可愛いさにあらためて驚いていました。

鑑賞日:2021年 6月3日
会 場:国立博物館 平成館

鳥獣戯画のすべて展鳥獣戯画のすべて展 コロナ禍による緊急事態宣言発令で会期中でありながら休館になったり、再開宣言をした後に再び休館延長になったり、会期が延長されたりと紆余曲折がありました。

大変な人気の展覧会なので、会期の延長(6月20日まで延長)は、私たちの声に最大限答えてくれたということでしょう。博物館(文化庁)の意地かもしれません。しかも、延長された期間中は本来休みの月曜日まで開館しています。関係者の努力のおかげで、一度は諦めた本展を鑑賞することができました。

鳥獣戯画のすべて展鳥獣戯画は京都、高山寺に伝わる四巻の絵巻物。平安時代から鎌倉時代にかけて制作されたそうです。制作の年代こそ判っているものの、誰が何の目的で描いたのか判っていません。絵はかなり画力のある方によって描かれていて、彩色はないものの非常に魅力的。擬人化された兎や蛙が実に人間臭く(!)人生を謳歌しています。

甲巻、乙巻、丙巻、丁巻、 の四巻あり、生き物を擬人化して描かれているもの、動物図鑑のようになっているもの、また人間が登場するものなど様々。擬人化された生き物達が生き生きと描かれた甲巻は特に人気があり、その見せ方もユニークでした。甲巻を広げた場所に動く歩道があり、それに乗って鑑賞するのです。巻物の特徴を捉えた最適(!)な見せ方です。「立ち止まらずに進んでください」と大声で誘導する野暮な美術展が増えた中、ちょっとクールでしたね。

鳥獣戯画のすべて展描かれている絵は、兎が鼻をつまんで川にダイヴしていたり、体の大きさが違う兎と蛙に相撲をさせていたり、お経を読む猿に供物が集まってきたりと、その発想の柔らかさに驚きます。漫画の原点、はたまたデザインの原点と言ったら言い過ぎでしょうか。(図録には盛んに漫画との関わりが取り沙汰されていました!)

印象的だったのは、動物や人間たちが大爆笑している姿。その表情の実にイキイキとしていること!

また、甲巻の巻末には蛇が出てきます。当然蛙たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていきます。作品がこういった粋な形で幕を閉じるところにも作者の粋を感じます。

鳥獣戯画の魅力は江戸時代の絵師達にも伝わっていたようで、絵手本としての模本が存在します。オリジナルの絵巻から抜け落ちてしまった部分や修復時に前後が入れ替わってしまった(さっかん)部分が、模本によってどの部分にどんな絵があったのか確認できます。模本からオリジナルが浮かび上がるなんて、非常に興味深いですね。

・・・・・・・・・・

唯一残念だったのは、甲巻をあれほどクールなアイデアで見せてくれたにもかかわらず、グッズ売り場は何の工夫もなく全くの野放しだったこと。三密。大混乱。人の頭の間から背伸びをしてグッズを見る感じ。商品を手にするには人を押しのけて行かねばならず、買い物を断念。図録だけ別のブースで売っていたので買えましたが、あれはちょっといただけません。せめて入場制限をしてくれればよかったのにと思いました。

鑑賞日:2021年 8月13日
会 場:大倉集古館

FUSION間島秀徳FUSION間島秀徳友人から招待券をいただき、見に行ってきました。ホテルオークラ入り口脇にある大倉集古館、初めて入りました。

間島秀徳さんの作品展ですが、氏のテーマである「水」に絡め、水に関連する大倉集古館収蔵作品も同時に展示されていました。ブースが分かれているわけではなく、まさしくコラボレーションでした。

大倉集古館所有の作品は横山大観や川合玉堂などの日本画の巨匠による滝などの画。間島秀徳さんの作品は水そのものを表した作品でした。

具象とも抽象とも見える間島秀徳さんの作品はダイナミックで美しい。海を俯瞰して描いているようにも、また、海の中に入り水に包まれながら水を描いたようにも見え、非常にユニークだと思いました。(北斎のように波に魅入られた?)間島さんの作品は見る人によって感じ方が違うでしょうね。

・・・・・・・・・・

数年ぶりに訪れたホテルオークラ。私の知っているオークラではなくびっくり。そういえば建て替えをするってニュースで見たなぁ。素敵なビルディングになっていました。
(2019年9月12日15時にリニューアルオープンしています)

鑑賞日:2021年 8月13日
会 場:和光ホール

和光ホール渋沢栄一展

ワタクシ只今猛烈渋沢栄一勉強中でございます。

2024年に刷新予定の新紙幣、その一万円札の肖像として名前が上がり始めて知った渋沢栄一。日本の最高紙幣である一万円札の肖像になるというのに全く知らなかった無知な私。知れば知るほど偉業の人でどんどん興味が湧いてきます。

展示されているものはオリジナルから起こした写真パネルで、希少性という点では正直イマイチでしたが、そこはさすが銀座和光、非常にユニークな展覧会でした。

写真パネルで一番大きかったのは服部時計店(現:和光)創始者である服部金太郎と一緒のものだったと思います。(さすが和光!)こうして見ると、服部金太郎は渋沢栄一よりも若い。渋沢翁は経済界の先輩といった存在だったのでしょう。服部金太郎は度々渋沢翁の声がけで寄付をしていたそうです。

展示物には渋沢栄一が起こした企業の商品がありました。オーベクス株式会社(旧社名:東京帽子株式会社)のトーキョーハット、オーロラ株式会社の高級傘ルミエール オーロラなど。おそらく傘はその場で注文が可能だったのではないかと思います。(この日は雨で、私は四谷三丁目の伊勢重の傘を持っていました)王子製紙が開発した紙で作った糸、オージョはトーキョーハットとのコラボが実現したそうです。携わった会社が手を結ぶ。これ、渋沢翁が聞いたら喜ぶでしょうね。

渋沢翁と銀座の関わりは、明治5年大火に見舞われた銀座をレンガの街にしたとのことでした。当時の様子が窺える浮世絵の大パネルがありました。また、銀座周辺地図を配っていたのですが、「ここに一橋徳川家があったのか!」と、新しい発見もしました。

会場は毎日渋沢翁の研究者(!?)が講義をしている模様。私が見に行った時にも佐々木勇さんのトークショーがありました。出口付近には鉢植えの藍があり、これが原点か〜とじっくり見てしまいました。

「パンフレットです」と配布していたのが上の画像のもの。広げると本展のパネル展示やキャプションが掲載されていました。セイコーミュージアムの時も思ったのですが、配布物で展覧会の復習ができるのです。さすが和光! 太っ腹!

鑑賞日:2021年 8月24日
会 場:子育てカフェeatoco

とくながあゆこ展とくながあゆこ展

足立区にある小さなカフェ、子育てカフェeatoco。ここで、とくながあゆこさんの作品が飾られていました。カフェと作品展は2017年に竹久夢二美術館・弥生美術館の敷地内にある夢二カフェ”港や”でも見ましたが、ここはお店とアーティストがもっと密着していて、お店のメニュー表にもとくながさんの可愛らしい猫がいたりします。

作品数はあまり多くはなかったのですが、無邪気に笑う猫、おばけに扮する猫、何かを訴えかけるような瞳の猫たちがいました。

鑑賞日:2021年 9月16日
会 場:東京国立近代美術館

隈研吾展隈研吾展

私が初めて隈研吾さんを知ったのは極々最近。4〜5年前だったでしょうか。神楽坂のアコメヤ トウキョウ イン ラ カグから。その後、高輪ゲートウェイ駅のデザインも隈氏と知り、日本建築界で現在のトップの人なのだと知りました。その後はTVの情報番組『じゅん散歩』で高田純次さんとの軽妙なやりとりから、建築物よりもそのお人柄で馴染みました。

隈研吾展エントランス脇に持ち運び式茶室(!?)がありました。海外へも気軽に運べ、ひとたび中に入れば別世界を作ることができるそう。おばけのQ太郎のような見栄えですが、海外でも評判だったそうです。

本展エントランスには木の匂いが漂っていました。人間、木の匂いには癒されるものがあります。それはきっと万国共通でしょうね。

エントランスにはTOKYO 2020 東京オリンピック・パラリンピックのために建て直しされた新国立競技場が紹介されていました。一度は決定していたザハ・ハディッドさんのデザインがなぜ白紙となったのか私にはわかりません。(建設費用が予定より高額になるから? それだけ?)ハディッド氏のデザインは、まるで宇宙船のような流線形の美しい建物でした。しかし隈氏の設計に派手さは全く無く、日本各地の木を使った落ち着きのあるものになっています。隈氏は、そこが神宮外苑だということを念頭に入れて設計したそうです。私は鈍感なので、神宮外苑は明治神宮の敷地であったことに最近まで気がつきませんでした。(2020年『明治神宮の鎮座』で勉強しました)明治神宮ミュージアムも同年に完成しているので、同じ時期に設計されたのでしょう。

隈研吾展隈研吾展

隈研吾展

本展は副題の通り公共施設が中心で、個人宅はありません。なので、『安藤忠雄展』のように間取りを楽しむといったことはできませんでした。

しかし、隈氏の建築物は公共の大きな建物にも木がふんだんに使われています。細い木(線)を均等に集めて壁(面)にする様が、古風な日本家屋を思い出させます。公共の建物の中に木を取り入れることで、家庭の温かみが生まれるってことでしょう。 建築物でありながら木のアートのような建築物もたくさん。ほこりの掃除はどうするんだろう? などと考えてしまいました。

副題の『ネコの5原則』というものは無学な私には理解ができませんでしたが、猫のしなやかな動きからくる動線を人間の生活に取り入れるということなんでしょうか。

因みに私は隈氏の建築の根津美術館が好きです。門扉から美術館入り口へのアプローチが大変美しいです。

鑑賞日:2021年 9月24日
会 場:そごう美術館

ひびのこずえ展ひびのこずえ展半券ひびのこずえ展フライヤー

ひびのこずえ展

ひびのこづえさんは求人誌「とらばーゆ」のカヴァーモデルの衣装を担当していました。どういった経緯か忘れましたが、当時私の部屋には「とらばーゆ」のカレンダーがあって、月が変わってもポートレートのように飾っていました。その後カゴメだったか、野菜ジュースのCMで野菜のドレスをデザインしたのも彼女だったと知り、名前を知りました。そして衝撃だったのが日比野克彦さんの奥さんだったということ。なんてクリエイティブな夫婦なんでしょう! と思いました。

本展はNHK Eテレの「にほんごであそぼ」や「とらばーゆ」時代の衣装、ハンカチのデザインや舞台衣装と、ひびのこづえさんの多岐にわたる活動を紹介する作品展でした。展示物と鑑賞者を隔てる段差もパーテーションもなく、副題の文字通り服の森の中を歩く感じでした。

クライアントがあっての作品だとは思いますが、何か自身を主張するものが感じられました。彼女は衣装を作るデザイナーではなく、布を使ったアーティスト。(それはパッチワークのルーク・ヘインズとは違う形の)素晴らしいと思いました。

ひびのこずえ展ひびのこずえ展ひびのこずえ展

ひびのこずえ展

舞台衣装も数多くデザインされているようです。二人で着る服や紐に繋がれている服など、衣装あってのパフォーマンスもあったようです。それは『バレエ・リュス』のような見せる魅せる衣装ではなく、ダンサーの皮膚のような衣装です。

もちろんお芝居のための衣装もあり、野田秀樹さん演出のお芝居には多数参加をしているようです。

グッズ売り場には、日比野さんのお手製、一点もののバッグが並んでいました。あれだけの数のバッグ(すでにかなり売れていましたが)を作るとなると、かなり時間もかかったと思います。本展への意気込みを見た思いです。

ひびのこずえ展ひびのこずえ展ひびのこずえ展

鑑賞日:2021年 9月24日
会 場:横浜そごうロフト

ヴァリエ作品展『ひびのこずえ展』の後、横浜そごう内のロフトで、展示販売しているお姉さんに声をかけられ、見ました。

ヴァリエはグリーティングカードを中心にアート作品を母子で展開しているプロダクトだそうです。

どの作品もとてもカラフルでファッショナブル。価格もリーズナブルなのでカフェに飾るにはぴったりでしょう。

鑑賞日:2021年 9月29日
会 場:東京都現代美術館

GENKYO横尾忠則展これまで何度も、いろんなテーマの横尾忠則展を見てきたので本展に行こうか迷ったのですが、行ってきてよかった! 見てきてよかった! と思える作品展でした。

1階はこれまで見た作品がとても多く、再会(!?)だらけのフロアでした。

1987年西武美術館『横尾忠則展』の衝撃はそれはそれは大きなものでしたが、そこで見た作品も並んでいました。電飾の付いた作品はフジテレビギャラリーで見た『横尾忠則展』出品作品だったと思います。同じ絵を二度三度と見られるのは同じ時代を生きる日本人のアーティストだからでしょう。ラッキーです。

滝のインスタレーションは1996年キリンアートスペースで見た『瀧狂』と同じ内容で同じ展示方法でしたが、本展は薄暗く(滝のポストカードがよく見えない)、しかも鏡まであり(よって奥行きが分からず)、何を見せたかったのか、何も見せたくなかったのかわからないブースでした。

3階に上がるとY字路の作品が並びます。今まで何度かY字路の作品を見ていますが、こんなに味わい深く面白いシリーズだったのかと、あらためて感動しました。自分自身が歳をとって興味の対象や、ものの感じ方が変わって発見できた新しいお気に入りです。非常に面白かった。(過去に私はY字路をエロいと表現しています!?)

ROLLING STONESの映画『クロスファイアー・ハリケーン』のブルーレイ限定BOX版には横尾氏の『よだれ』のポスターが特典グッズとして封入されていました。(私は出遅れ、購入できずに涙しました)初見は1989年『横尾忠則 TOTAL GRAPH - T.Y. 展』と記憶していますが、この時はこの作品はあまり好きにはなれませんでした。2002年同美術館で開催されていた『横尾忠則 森羅万象』では、本作品を気に入ったミック・ジャガーがニースのコンサートに使いたいと申し出るも実現には至らなかったと紹介されていました。しかし数十年の時を経て、『クロスファイアー・ハリケーン』で『よだれ』は特典グッズとして実際に使われたました。ミックが気に入ったのだと思うと、ワタクシ急に愛おしくなってしまいした!(私って現金なやつ!)それにしても、ミックも横尾氏も義理堅いですね。

GENKYO横尾忠則展GENKYO横尾忠則展

コロナ禍ということで、横尾作品や写真の人物にマスクをつける加工をしていました。これがちょっと愉快! グッズにも横尾作品にWITH CORONAと題してマスクをつけているものが多く売られていました。マスクには絵が描かれていて、舌を出しているものも! 私は『WITH CORONA YODARE』のポストカードセットを購入。12枚入りで、よだれが12ポーズありました。『よだれ』のグッズは非常に多かった。STONESマニアにはたまらない品揃えでしたね

図録は分厚くて、7,900円もして、めっちゃ重そうでした。本展の作品を網羅しているのでしょうが、これまでの横尾忠則展で購入してきてるし、私にとって1987年西武美術館『横尾忠則展』以上の衝撃の図録はないと思い購入しませんでした。Y字路だけの図録があったら欲しいなぁ
GENKYO横尾忠則展ポストカード

鑑賞日:2021年10月 5日
会 場:虎屋 赤坂ギャラリー

和菓子で楽しむ錦絵展和菓子で楽しむ錦絵展和菓子の虎屋本店のギャラリーでちょっと面白い展覧会がありました。

本店地下一階にある小さな展示スペースに錦絵とその錦絵の中に描かれているお菓子が再現され展示されていました。お菓子が再現されているという粋な発想は虎屋のギャラリーだからこそです。

錦絵に描かれた江戸の町はとても平和で、手作りや店先などのコミュニケーションの場にお菓子があり、人々に愛されていたとよくわかります。

お菓子は人々の生活、お祝い事と共にありました。柏餅や千歳飴など子供の成長に添えられるものでもありました。また病を退け福を呼ぶためにも食べられていました。天然痘に赤いものが効果があるということでぼた餅が食べられていたそう。2019年に見た『病退散』ではお菓子には触れられていなかったので、おまじない的な存在で食べられていたのでしょう。それにしてもこれが庶民の生活ということは、私が思う以上に江戸時代は豊かだったようです。

和菓子で楽しむ錦絵展和菓子で楽しむ錦絵展和菓子で楽しむ錦絵展 茶の湯は江戸以前からあるのでお菓子が江戸で広まったわけではありませんが、多様性が増したのはやはりこの時代でしょう。お芝居が盛んになったころからお菓子にも華やかさが増していきます。西洋のお菓子が入ってきたことも大きく影響したことでしょう。菓子店ごとに切磋琢磨し、ブランド化するところも出てきたようで、凮月堂の広告などが残っています。同時に菓子袋の絵といった商業デザインも盛んになっていきます。

お菓子が愛されるのはいつの時代でもどこの国でも同じでしょう。食事が足りてこそのお菓子でしょうから、やはりお菓子には笑顔がつきものですね。

鑑賞日:2021年10月13日
会 場:21_21DESIGN SIGHT ギャラリー3

横尾忠則アーティスト展カルティエ現代美術財団の依頼で、カルティエに貢献した人物139名を横尾氏が描きました。同じ大きさのパネルに個性豊かな人物が非常にカッコよく描かれていました。でも、一目見て横尾忠則の作品だということは正直わかりません。それだけに、横尾忠則をこんなに贅沢に使うなんて!と、カルティエの力を見た思いです。

横尾忠則アーティスト展描かれた人物は数人しか知りません。北野武や三宅一生、荒木経惟さんなど日本人が数人と、モーツアルトやデヴィッド リンチ、ゴルチェなどのクリエイティブな仕事をしている人のみ。海外の人類学者や数学者など知る由もなく、今後私の知識の中に新たに記憶される人がこの中にいると面白いなと思います。

カルティエは宝飾しか思い浮かばなかったのですが、現代美術財団なんてものがあるのですね。初めて知りました。まあ、ジュエリーとアートはイコールでもあるし、何の不思議もありません。

・・・・・・・・・・

GENKYO横尾忠則展東京都現代美術館でも『GENKYO 横尾忠則展』が開催されていますが、そちらの売店は”WITH CORONA”キャンペーン(?)で横尾作品にマスクを着けた加工が施されていることは紹介しましたが、本展のカルティエのための肖像画も同じようにマスクをされていました。横尾氏本人の作品ではありますが、他の美術館で現在開催中の作品に加工してしまうなんて、横尾忠則だからできること。非常にユニークです。

2009年『個展・忌野清志郎の世界』でラフォーレ原宿を飾ったキヨシローもいました。リアルにマスクを着けた細野晴臣さんと糸井重里さんもいましたよ。

細野晴臣さんは『GENKYO 横尾忠則展』でも作品の中にいましたね。横尾忠則は4人目のYMOだったのですからやはり仲良しですね!
GENKYO横尾忠則展GENKYO横尾忠則展GENKYO横尾忠則展

鑑賞日:2021年10月13日
会 場:東京都美術館

ゴッホ展ゴッホ展
ゴッホ作品の収集家、へレーネ・クレラー=ミューラー(クレラー=ミューラー美術館)のコレクション展。ゴッホの作品が無名の時代から晩年まで見られます。ゴッホが中心ですがゴッホ以外の作品もたくさん見られました。

本展はオランダ時代からサン=レミ時代へと時系列で展示されていました。

サン=レミ時代のゴッホは心を病んでいるのですが、作品は非常に力がみなぎり私は好きです。時系列に並んでいたので作品が徐々に力をみなぎらせているように見えました。それは孫悟空が元気玉を大きくしていくような感覚。どんどん絵が面白くなっていきました。炎が燃え上がるような『夜のプロヴァンスの田舎道』の糸杉は大変力強く、また大変美しい作品でした。(遠目で見ると布が毛羽立っているようにも見えます)フライヤーにもなってるし、本展のイチオシの作品ですね。

ゴッホ以外のコレクションもいくつかあり、久しぶりに見るブラックに、やはり私はキュビズムが好きだ!と思ったり、モンドリアンの淡い色が綺麗だと思ったり、ゴッホを集める人がなぜルドンも買うのかと首を傾げたりと、楽しんできました。

それにしても、本展はへレーネ・クレラー=ミューラーのコレクションということだったので2010年に子供たちを連れて観に行った『ゴッホ展』よりも小規模でした。国と東京都の規模の違いを見た気もします。

鑑賞日:2021年10月15日
会 場:東京都現代美術館

GENKYO横尾忠則展ちょっとおもしろかったのでまた行っちゃいました! 2週間前に行ったばかりなのにね。

1987年西武美術館『横尾忠則展』で見た作品はやはり何度見ても素敵だと思います。何度も見られて嬉しいです。

『よだれ』も含めたグラフィック作品は制作から数十年後に自らリメイクしています。イメージが複数に及ぶというのもグラフィック的で楽しいです。

Y字路作品もじっくりゆっくり見てきました。写実的なものから抽象的なものまでバリエーションも豊かで非常に味わいがあり楽しいです。

『夕陽のガンマン』のテーマソングが大音量で流れる最後のブースは、題して原郷の森。ここ1.2年に制作された作品群です。齢80を超えた作品で、力強さも緻密さもありません。でも、明るくふわふわとした楽しげな様子がこれまでの横尾作品にはないものです。トイレの描写が多いのはマルセル・デュシャンを意識しているのでしょうか。

図録は買わなかったのですが、ガイドブックを買ってしまいました。本展図録の一部抜粋の本ですが、購入の決め手になったのが背表紙の『よだれ』が可愛いのと、見返しのWITH CORONAのアートワークが楽しいから。本展のグッズ売り場やミュージアムショップのホワイエに所狭しと飾られていたものと同じものが見返しに使われているのです。ちなみにガイドブックには私が気に入った作品『交差する時間』は掲載されていません。次回この作品に出会えるのはいつになるかな?

鑑賞日:2021年10月19日
会 場:狭山市立博物館

ワタクシ、小中学生の頃はろくに勉強もせずテレビばっかり見ているお子様でした。当時、夕方のニュースの前、4時〜6時の2時間はどこのテレビ局もドラマやアニメの再放送をしていました。特にテレビ朝日とテレビ東京はアニメが多く、リアルタイムで見たアニメが翌年に再放送されることもしばしば。繰り返し復習した感じです。私がよく見ていたロボットアニメ(死語?)は金山明博さんのキャラクターデザインが多く、魅力的なキャラクターも多かったです。そんな金山さんの作品を集めた本展、とても楽しみに行ってきました。

金山明博展金山明博展金山明博展

金山明博展本展は金山氏がアニメーターとして参加されたアニメーションのキャラクターの他、漫画やオリジナルの絵画、旅で出会った風景などの作品がありました。本展のために描き下ろした22作品を含め60点が展示されていました。

アニメキャラもオリジナルも登場人物は優しさに溢れています。

雪女という作品は初見なのに懐かしく思いました。その雪女のお顔が子供の頃に見ていたアニメのキャラクターのように少し下膨れで優しい顔だったからかもしれません。そう、この顔が金山さんのキャラクターなのです。

金山明博展

右の作品は今年描かれた作品。人間に作られたロボットたちが、全滅に瀕している人類の生き残りを探す旅に出るというもの。こういった発想や、ロボットたちの愛らしさがとても素敵で、私は大好きです。(もちろん勇ましい戦士の作品もかっこよくて好きですが)

子供の頃によく見たアニメ『超電磁ロボ コンバトラーV』『超電磁マシーン ボルテスV』『闘将ダイモス』『無敵ロボ トライダーG7』は金山さんが参加されたアニメーション。そんな懐かしい作品が見られました。

『超電磁マシーン ボルテスV』のプリンス ハイネルと『闘将ダイモス』のリヒテルの原画が展示されていました。(これらの撮影は不可でした)原画は雑誌アニメージュの表紙になったリヒテル。(茶系で描いたのに青系にされてしまったそう)レコードジャケットのプリンス ハイネル。『ボルテスV』DVD-boxのために描き下ろした勇ましいハイネル。ハイネルやリヒテルはアニメの悪者(死語?)なのに主人公以上に美しい容姿でした。プリンス ハイネルに至っては主人公の健一と兄弟だったという結末。敵の人生まで考えるアニメの先駆けかも知れません。

金山明博展金山明博展

『超電磁マシーン ボルテスV』『闘将ダイモス』だけではなく、版権の問題で撮影禁止(当然図録にも掲載無し)の絵がいくつもありました。その中の『落書き』という作品には、ジャンコクトー、ピカソ、手塚治虫、バカボン、庵野秀明とゴジラが描かれていて、ちょっと面白かった。記録に残ってないので見に行って記憶に残すといいですね。

展示会場は2階でしたが、1階のエントランスホールには、アニメの作り方と金山さんのインタビューがモニターに映し出されていました。モニターには数枚の絵を順番に映し出すことによって絵が動くように見える様子を丁寧に流し、ジョーが力石に殴られるシーンも見られました。(『あしたのジョー』の原作はちばてつやさんですが金山さんはアニメ版に参加されています)

インタビューでは漫画家を目指すも挫折して、知人の口利きで虫プロに入ったことなどを語っていました。(虫プロ入社は狭き門で、モンキーパンチさんも落とされたそう)楽しかったのは『ジャングル大帝』、辛かったのは『あしたのジョー』だったそう。印象に残った言葉は「辛い目にあったらトラウマか財産になる。捉え方の違い」「経験にかなうものはない」「物を作る時に大事なのは心。いいものを作りたい」なるほど。確かに。

金山さんは狭山市に在住されています。本展開催中に子供向けのワークショップやアニメ制作の裏話などを披露されるそう。ご近所の方は何度も楽しめますね。

鑑賞日:2021年10月20日
会 場:国立映画アーカイブ 展示室

円谷英二展円谷英二展左のフライヤーを手に取った時、非常に驚きました。「生誕120年? 円谷英二って明治生まれなの?」そんな驚きから本展に興味を持ち、夫を連れて行ってきました。

会場の国立映画アーカイブは元の国立近代美術館フィルムセンター。以前から一度映画を見に行ってみたいと思ってましたが、意外にも映画ではなく展示会で入館することになりました。

円谷英二展は常設展示の奥にありました。私は初めて入館したので常設展示もしっかり観てきました。

円谷英二展常設展の 『日本映画の歴史』は非常に興味深かったです。映画が日本に入ってきたのは明治時代。大正に入ってからは映画会社ができていきます。活動写真と言われ人気を博し、無声映画時代には弁士がスター並みの人気があったとか。それなのにあっという間にトーキーに生まれ変わります。浮世絵から写真に変わっていった時のような混乱は見られず、急激にそして熱狂を持って発展していったのだとわかります。

日本の最初のアニメは『なまくら刀』だということは以前何かで読みましたが、その『なまくら刀』がちゃんとアニメーションの形で見られました。その横にはアニメの撮影機材も展示されていました。前日に見た『金山明博 遊画展』でもアニメの作り方をモニターに流していましたが、ずいぶん長い間アニメの作り方は変わらなかったのですね。

円谷英二展映画の話に乗り物などが入ってくると途端に表現力が弱くなっていきます。当時では飛行機の墜落を表現するのは非常に難しい。そこで特殊撮影の必要性が出てくるのです。

円谷英二はカメラマンでした。パイロットを夢見ていた円谷は飛行機の墜落の説得力ある撮影をするために特殊撮影を本格的に始めます。特撮はSFを表現する以前、現状をよりリアルに説得力あるものにするための手段でした。

そこから特撮は発展していき『ゴジラ』が生まれます。

その技術の素晴らしさから円谷は独立して、1963年に円谷プロを作ります。最初の仕事は石原裕次郎主演の映画『太平洋ひとりぼっち』でした。荒れる海を作り出しました。石原裕次郎の乗る船内のシーンから特撮の嵐のシーンに移っても違和感がありません。

そしてお馴染みのウルトラマンが登場します。

最初にフライヤーを手にした時の驚き、円谷英二は明治生まれでした。1901年、明治34年に生まれたので今年で生誕120年です。円谷プロを作った時は円谷英二は62歳です。私が子供の頃に夢中になって観たのは『ウルトラセブン』。リアルタイムだったか再放送だったかわからなくなってしまっていますが、ウルトラシリーズは大好きでよく観ていました。でもそれも50年近く前の話。よくよく考えれば円谷英二は近い世代の人ではありませんでした。なぜそんな勘違いをしていたのかというと、きっとウルトラマンシリーズが長く続いているからでしょう。特撮の神、円谷英二の人生は日本映画の歴史でもありました。

鑑賞日:2021年10月28日
会 場:たばこと塩の博物館

杉浦非水展三越の広告「春の新柄陳列会」はどこかで観たことはあったのですが杉浦非水という方は知りませんでした。「春の新柄陳列会」は非常に綺麗な作品で、女性の左側にある花瓶に生けられたチューリップの豪華さが上流階級の家庭を物語っています。

杉浦非水は日本画を勉強するも黒田清輝の元でミュシャの作品に出会い、デザイナーになりました。アールヌーボーに目覚めた杉浦は三越専属のデザイナーになります。アールヌーボーは当時から人気があったようです。売り上げにも貢献したことでしょう。明治時代の三越を支えた人です。

杉浦非水展そんな明治・大正のデザインを見ようと思い本展に行ったのですが、あまり関係のない(?)『非水百花譜』の版画の美しさの方が心に残りました。こういった作品に心打たれるというのは私の興味の対象も加齢と共に変わってきているのかもしれません。

フランス語を勉強していた当時の手帳も展示されていました。ああ、やはりフランス語の単語は冠詞と一緒に覚えるものなんだなあと変に感心してしまいました。また、藤田嗣治とも交友があったようです。

このレベルの人をデザイナーとして抱えていた当時の三越は、商売ではありますが、アートに対する理解が際立っていたということでしょう。私が高校生の頃に三越事件があったので、歴史はあるけれど一流ではないという印象を持っていましたが、当時の三越は流石に超一流でした。

たばこと塩の博物館のあまり広くない展示スペースに詰め込むほどのたくさんの作品が並べられていました。図録に掲載されているのに展示されていないものは展示替えで引っ込められたものなのでしょう。にしても、入場料100円でこれだけのものが見られるなんて、2,000円以上する入館料が増える美術展の中で、とても貴重です。

鑑賞日:2021年11月4日
会 場:CST MUSEUM
(日本大学理工学部化学技術史料センター)

木村秀政と平山善吉展木村先生のお名前を知ったのは高校生の時。当時知り合いの早稲田大学理工学部に通うある学生はこう言いました。

「日大には木村っていう凄い先生がいるんだよ。飛行機の設計をしている有名な先生で、木村先生の授業を受けたくて東大とか早稲田へ行く頭のあるやつがわざわざ日大までランクを下げて入学するんだよ」

そして彼はこう付け加えた。

「鳥人間コンテストで日大が優勝するのは木村先生がバックにいるからだよ。ずるいよ」

早稲田大学理工学部に通う学生が嫉妬する木村秀政先生の功績を、先生が在籍された日本大学理工学部のミュージアムへ見に行ってきました。

木村秀政と平山善吉展

木村秀政と平山善吉展

木村先生のパネル展示はたくさんありましたが展示物は思ったほどありませんでした。

1904年(明治37年)に誕生した木村秀政先生は戦前、東京帝国大学工学部航空学科で学ばれました。(東京帝国大学はのちの東京大学)アニメ『風立ちぬ』の主人公で零戦を設計した堀越二郎とは同級生だったようです。戦後は国産旅客機 YS-11 の製作に携わりました。航空機開発の第一人者です。また同時に日本大学の教授でもあり、生涯日本大学で後輩の育成に当たっておられました。

木村秀政と平山善吉展本展は日本大学理工学部創設100周年記念展でもあり、駆け足で理工学部の紹介がありました。(木村先生は理工学部の学部長でもありました)そんな展示品の中、人力飛行機操縦席と軽飛行機模型はやはり嬉しい展示でした。

展示品の人力飛行機操縦席は鳥人間コンテストの為に作られた実物大操縦席の模型です。人力飛行機は以前滑走路で見たことがあります。ふわっと浮かぶ風船のようでした。私は日本テレビの鳥人間コンテストを初回から見ていますが、本当に素敵です。うろ覚えですが、木村先生はコンテスト出場の機体の設計図の審査をされていたと思います。

木村秀政と平山善吉展平山善吉先生は正直申し上げて、存じ上げませんでした。しかし、本展で素晴らしい先生なのだと知りました。平山先生の展示品は先生自身が提供されているものが多くあり、狭い展示室ではありますが先生の功績がよくわかる展示品ばかりでした。

木村秀政と平山善吉展平山先生は建築で尽力された方です。日本大学在籍中に第一次南極大陸越冬隊に最年少で参加されました。(続く第二次、第三次も越冬隊員として文部省に勤務)南極の基地建設に携わったということです。本展にはミサワホーム提供の南極基地の壁の一部が展示されていました。(『南極物語』の時には実際に越冬隊員として参加されていたということですね)

本展に合わせたのか偶然なのか、現在放送中のミサワホームのCMには「ミサワホームは南極基地の建設に携わってきた〜』といった紹介がされています。

また、エベレスト登山にも成功されています。エベレスト頂上の石や水晶なども展示されていました。

現在は世界遺産のアンコールワット遺跡群の修復にも携わっておられます。カンボジアからサハメトレイ勲章が授与されています。

常設展示の部屋にはかつて理工学部で使っていたであろう古い計算機やビーカーなどの理科器具がありました。

鑑賞日:2021年11月11日
会 場:青天を衝け 大河ドラマ館
  (北区飛鳥山博物館)

青天を衝け大河ドラマ館青天を衝け大河ドラマ館
2年前の2019年に、2024年にお札が変わるニュースを知り、新1万円札の顔が渋沢栄一になることを知りました。ワタクシ渋沢栄一、絶賛勉強中であります。知れば知るほど偉業の人でどんどん興味が湧いてきます。

今年はNHKの大河ドラマの主人公が渋沢翁です。

北区飛鳥山は渋沢栄一が晩年暮らした土地。北区は総力を上げて(!?)盛り上げていました。「北区は渋沢栄一のテーマパーク」だと言い切っちゃってるところが潔くていいです! そして北区飛鳥山博物館がエントランスの姿を変え、1年限定の「青天を衝け 大河ドラマ館」として開館しています。

青天を衝け大河ドラマ館本企画は大河ドラマの小道具の展示です。

今日は渋沢翁の命日で没後90年という年。入場料が無料になっていました。館内は狭く、期間中に何度も展示替えをしていたようです。

青天を衝け大河ドラマ館エントランス入ってすぐの年表を見て、娘は妻の千代が亡くなることに、私は渋沢翁が日仏会館の理事だったことに驚きました。

出演者の映像や出演者のサイン色紙の展示はドラマを熱心に見ている私には興味深いものでした。しかし展示物はドラマの小道具なので、本物ではない物足りなさはありました。

ちょっと面白かったのは、一万円札の肖像の部分に自分の顔を入れ込んだ「なりきり一万円札」のデジタルデータがもらえること。紙に印刷もできますが、データだけいただいてきました。

青天を衝け大河ドラマ館青天を衝け大河ドラマ館春には桜やつつじが美しい飛鳥山公園。現在は渋沢栄一一色になっています。ドラマ終了に合わせて渋沢栄一史料館へも行く予定です。

右の画像、驚きです。尾高平九郎、徳川慶喜、渋沢栄一、澁澤喜作の4人がイケメンに仕立て上げられていました! これはJR王子駅の改札を出てすぐの柱にも一人ずつの立ち姿がありました。そして前述の「北区は渋沢栄一のテーマパーク」と宣言もしていました。北区、渋沢人気にあやかってますね。

鑑賞日:2021年11月12日
会 場:聖徳記念絵画館

聖徳記念絵画館前銀杏並木明治神宮外苑、美しい銀杏並木の先に見えるのはせいとく記念絵画館。明治天皇の生涯を80枚の絵に起こし展示されている美術館です。

美術館完成から絵が増えることもなく、特別展として外部の作品を集めて展覧することもない、明治天皇だけに特化した特別な美術館です。(国内初の美術館でもあります)

絵の大きさは全て同じで、縦が3メートルもある大作。ここでは”絵”ではなく”壁画”と言います。

聖徳記念絵画館は重要文化財に指定されています。明治天皇の生涯は、幕末や大政奉還以降明治の日本の歴史なのです。

聖徳記念絵画館

渋沢栄一絶賛勉強中のワタクシ。明治天皇の生涯を追った書物も読みました。明治神宮では神である明治天皇も10代で迎えた大政奉還に苦労多い生涯を歩まれた方。いや、御柱。明治政府を操る大久保利通や西郷隆盛、大隈重信、岩倉具視などの逸話はよく取りあげられますが、明治天皇をとりあげるメディアは彼等に比べると極端に少なく、進んで絵画館へ勉強しに行ってきました。

聖徳記念絵画館リーフレット明治天皇の御誕生と崩御までの明治の出来事を40点の日本画と40点の洋画で描いています。それぞれに画家と奉納者がいます。80枚の壁画の奉納者は描かれた壁画に関係の深い人物です。その中に渋沢栄一の名前もありました。描かれているのは『グラント将軍と御対話』来日した元アメリカ大統領ユリシーズ・グラントと浜離宮で会話をしているものです。渋沢翁はグラント将軍を自宅に招いてもてなしています。そんな繋がりもあるのでしょう。

明治天皇は描かれていませんが、壁画『大政奉還』は教科書で見ました。日本人なら誰もが一度は見たことがあるはずです。

壁画『王政復古』はこれと同じシチュエーションをNHK大河ドラマ『青天を衝け』で見ました。この壁画を参考にドラマを作ったのではないかと思えるほどにリンクしていました。

素敵だと思った壁画は『徳川邸行幸』。徳川昭武邸に行幸された時の様子で、桜が見事に咲き誇り大変美しい作品です。徳川憎しと政を奪った薩摩や長州とはお考えが違うのでしょう。水戸藩の尊皇に感銘を受けての行幸になったようです。(徳川昭武は15代将軍 徳川慶喜の弟)

ちなみにこの時、徳川昭武はあんぱんをお茶菓子としたそうです。あんぱんを納めた木村屋はあんぱんの上に吉野山から取り寄せた八重桜の塩漬けを乗せたそう。以降あんぱんには桜の塩漬けを乗せるようになったとか。そしてのちにこの日、4月4日があんぱんの日になったそうです。美しい上にいろいろなエピソードが詰まった壁画です。

聖徳記念絵画館聖徳記念絵画館

季節がら銀杏が美しく、たくさんの人が写真に収めていました。この銀杏の木は146本あるそうです。この銀杏並木は聖徳記念絵画館を神々しく印象付けるためのもの。明治神宮、さすがです。

聖徳記念絵画館前銀杏並木聖徳記念絵画館前銀杏並木聖徳記念絵画館前銀杏並木

鑑賞日:2021年11月19日
会 場:パナソニック汐留美術館

ハンガリーの首都ブダペストにあるアール・ヌーボー建築の美術館、国立工芸美術館の名品を集めた展覧会。思ったほど作品点数は多くはなかったのですが、大変美しく、名品揃いでした。

ブダペスト国立工芸美術館名品展半券 ブダペスト国立工芸美術館名品展フライヤーブダペスト国立工芸美術館名品展フライヤー

19世紀、ヨーロッパで流行した芸術運動、ジャポニズム。そこからアールヌーボーへ、またアールデコへと移っていきます。その変遷が本展で見られました。

日本の美術品を模写したかのような、和風を詰め込んだような、美しいながらもちょっと頼りなげな作品が現れます。その後徐々に美しいアール・ヌーヴォーの作品が出現します。

色も形もため息が出るほどに美しいアール・ヌーボー。そのなかで幾何学的なデザインのされた作品も出現していきます。これには驚きましたが、美術はカテゴリ別に別れているわけではなく、流れるように続いているのだと教えてもらいました。

鑑賞日:2021年11月25日
会 場:東京オペラシティ アートギャラリー

私にとって和田誠といえば本の装丁でした。しかし本展を見て、多岐にわたる仕事に非常に驚きました。

和田誠展半券 和田誠展フライヤー 和田誠展フライヤー

和田誠展エントランス和田誠に触れた最初は中学生の時に大好きだった星新一の単行本の装丁でした。その後映画の本に彼の絵がありました。(この頃に和田誠さんの名前を知ります)萬流コピー塾が読みたくて毎週買っていた週刊文春の表紙はそれまでの彼の画風と違って驚いたものでした。その後は三谷幸喜の本。(三谷幸喜って映画人なんだなとヘンな関心をしました)私にとって和田誠は”本の人”であり”映画の人”でした。しかし、本展を見て、彼の多岐にわたる仕事に本当に驚きました。

和田誠展会場に一歩足を踏み入れると、その作品の多さに圧巻! これもあれも見た事がある! みんな和田誠だったのか!

作品展は似顔絵からスタートします。似顔絵は少ない手数で人物だけでなく、纏う空気をも描いています。沢田研二なんて秀逸です!

イラストレーターだと思っていた私は、氏のグラフィックデザインに驚きました。学生時代からプロのデザイナーとしての力量がすでにあり、非凡な才能を持っていた人でした。デザイン事務所に入ってからの作品のセンスのよさったらないです。記憶に残る絵で、広告としては最高ではないでしょうか。カッサンドルを思い出します。たばこのハイライトのデザインも和田さんのものでした。

和田誠さんは絵本も手がけていました。私は初めて知りましたが、なんの不思議もないですね。

和田誠展映画館のポスターは今考えるとバブリーな仕事でしたね。昔は映画館ごとにポスターがあったり手書きの大看板があったりしたことをすっかり忘れていました。

映画館の特集上映ごとにポスターを作っていた時代に和田さんは活躍します。三色刷りの手数の少ない絵でもカトリーヌ・ドヌーブの美しさを表現できてしまう。いわゆる天才ですね。

また、アニメーションの作品も数点流していました。そういえば、フジテレビのゴールデン劇場のアニメーションは和田誠さんでしたね。アニメが素敵なのはもちろんですが、私はその音楽も好きでした。

和田さんの装丁で印象的なのはレタリングも! どんなフォントなんだろうと思っていましたが、手書きの”和田文字”でした。絵も字もイケるって事です。ある意味無敵ですね。

和田誠展本展で一番驚いたのはロゴの製作もしていた事。企業のアイコンのようなものまでありました。見覚えのあるビリー・ワイルダーも! この絵、もちろん知ってましたよ。だってビリー・ワイルダーのファンですもの。でもデザインした人が誰かなんて知りませんでした。

家族が関わった仕事の展示もありました。息子さんの幼い頃に描いた絵に手を加えた作品なんて本当に素敵です。奥様の平野レミさんのレコードジャケットもデザインしています。(若い頃のレミさんの美しさに驚きました)

プチ衝撃だったのは私が好きだった灘本唯人さんと横尾忠則さん、宇野亜喜良さんと4人展を2009年に銀座で開催していたこと。見たかった〜。

たくさんの作品を見て、和田誠さんは非常に楽しんで仕事をしていたのではないかと思いました。羨ましいというか、素敵だなと思いました。

鑑賞日:2021年11月30日
会 場:千代田区立日比谷図書文化館

江戸から東京へ展思った以上に資料が多く、地図好きのワタクシ、ツボでした。

皇居を中心にぐるりと囲う千代田区は、その歴史が東京の歴史でもあります。本展は千代田区と日比谷図書文化館の所蔵品(郷土資料!)を中心とした展示でした。

明治政府は当初、江戸への遷都を考えていなかったものの、前島密の江戸城や武家地、港湾の利用が大阪よりも効果的だとするアドバイスに従ったそう。草葉の陰の徳川家康はさぞかし愉快だったでしょうね。

江戸幕府が作った江戸の城下町は螺旋状に堀に囲まれ、カタツムリの様。パリの地図の様にも見えました。そのお堀には浅草橋から反時計回りに皇居正門まで36の橋がかかっていました。江戸城三十六御門です。現在は埋め立てられた場所もありますが地名として残っています。

江戸から東京へ展
川の利用で発展していった東京も、大正12年の関東大震災や昭和20年の東京大空襲など、立て直しを迫られる災害や戦災がありました。明治20年初頭に和田倉門から出火した大火により焼け野原になった丸の内を明治23年に岩崎弥之助に払い下げ(!)したとか。その広さ、なんと日比谷公園から大手町までです。さすが三菱。財力ハンパないです。(今ハマっているNHK大河ドラマ『青天を突け』で岩崎弥太郎の力を見せつけられています。)初代の三菱一号館はこの頃建てられたそうです。三菱一号館は再建築を経て現在、三菱一号館美術館になっています。

本展で一番コーフンしたのが、江戸城三十六御門の古地図と現在の地図を重ね合わせた地図、江戸城新三十六御門重ね絵図。じっくりゆっくり見させてもらいました。

明治以前、江戸時代から埋め立てで江戸の町は広がりました。楓川から東側は海だったとか。明治になり陸路が発展していくと川やお堀はお役目御免で埋め立てられてしまいました。楓川、紅葉川、桜川、美しい名前の付いた川はもうありません。(注:現在の東京駅から東は中央区です)

ラッキーなことに江戸城新三十六御門重ね絵図の複製がショップで売っていたので購入しました。日がな一日見ていられます。ありがとう千代田区。

鑑賞日:2021年12月9日
会 場:サンシャインシティ 文化会館ビル

東京ミネラルショー昨年に引き続き今年も行ってきました。(今年はプレオープンに参加)

挨拶回りをした後はお買い物タイム。昨年はベリルがテーマでしたが、今年のテーマはコランダム。ハンドルネームのルビーを探し(サファイアも!)購入しました。

今回は第30回記念とし、那須の化石が展示されていました。鉱石や宝飾としての宝石を扱う業者が並ぶ一角に突如現れる化石の展示。でもこれが原点なのです。

那須塩原市にあった古代湖、塩原湖に生息していた動植物の化石が多数展示されていました。昆虫の化石は標本のようにありし日の姿を写しています。植物も葉脈まで完璧に、美しく残っていました。これらの動植物は現在の塩原にも生息する種類だそうで、数十万年前と現代と気候が似ていたと分析されるそう。これら化石の子孫の昆虫たちが那須の地を飛び回っていると思うと感慨深いですね。

鑑賞日:2021年12月17日
会 場:太田記念美術館

河鍋暁斎 かわなべきょうさいの名前を知ったのは数年前、河鍋暁斎の娘、かわなべきょうすいを題材にした澤田瞳子さんの小説「星落ちて、なお」が直木賞を受賞したというニュースから。それまで名前は知らないし、漢字も読めませんでした。(お恥ずかしい)

そんな河鍋暁斎の作品展のポスターがJR原宿駅に貼り出されていました。鳥獣戯画を思わせる楽しげな蛙の姿に素通りできるわけもなく、行ってきました。

初めての河鍋暁斎、非常に面白かった! 今までなぜこの人にスポットライトが当たらなかったのかと不思議に思いました。(知らなかったのは私だけ?)

河鍋暁斎半券河鍋暁斎の活躍の時期は幕末から明治にかけて。7歳で国貞に弟子入りし、10歳で狩野派に師事したという人物。恐らく時代背景からして、外国の絵からも勉強されたことでしょう。

本の挿絵のような作品を中心に展示していました。全般に作品のサイズが小さく、齢50を超え老眼のワタクシには非常に見にくかったのですが、描いた河鍋暁斎も50を過ぎてからの作品らしく、驚くばかり。あの小ささ、繊細さ、道具はどのように使ったのだろうかと思いました。(単眼鏡をお持ちの先輩方がいらっしゃいました。それが正解!)

河鍋暁斎極細の線で描かれた作品群は、北斎漫画のように人生謳歌であり、鳥獣戯画のように動物たちが愛らしい。また風刺の要素が多分にあり、面白がって描いたのではないかと想像します。絵を描くというよりも絵を手段として何かを伝えたいジャーナリストのようでもありました。と言いつつも、浦島太郎の画などなんともファンタジックな作品も多かったです。

本展は前半と後半で展示作品を総入れ替えしたようです。太田記念美術館は初めて入館しましたが民家を美術館にしたような作りでしたのでそもそもの展示スペースが広くありません。総入れ替えもやむなしです。

河鍋暁斎、とっても面白かったな。もっといろいろ見たかったな。蕨に河鍋暁斎の記念美術館があるようなので行ってみようかな。

鑑賞日:2021年12月22日
会 場:国立科学博物館

ミイラ展ミイラ展本展は大英博物館が所蔵する6体のミイラと装飾品などの展示です。CTの技術を使い、破壊することなくミイラの内部を調べ、モニターに映し出していました。

6体のミイラはそれぞれ時代も年齢も性別も違います。全てのミイラは神職や地位の高い人など裕福な家柄の人です。

CTにより骨格や体の中が見え、死因までも推測できます。ミイラの体の上には護符が乗せられていて、心を込めてミイラにしたのだと、家族の愛を強く感じました。

この気付きは結構な衝撃で、本来見せ物にするものではない、ご家族にとっては愛する家族の遺体なのだと新たな認識をしました。

ミイラ展女性には来世でも身だしなみを整えなければならないと化粧道具が添えてありました。子供には木馬のおもちゃやゲームなどもありました。体の上にビーズの装飾品が掛けられているミイラもいて、ミイラになった人たちが生前家族に深く愛されていたことが見て取れました。

棺に描かれた絵や文字は大変美しく、死者を最大限美しく心を込めて飾ったのだと思います。また棺が3重になっているミイラもいました。

女性は髪の毛をシラミ対策のために短くし、カツラをかぶっていたそう。だから女性はおかっぱ(!)に描かれているんですね。これは新しい発見でした。美容と健康に気をつけていたんですね。

ロゼッタストーンのレプリカもありました。この発掘は歴史的発見ですね。(私はヒエログリフとアルファベット一覧表の栞を購入しました!)

展示会場の出口付近に猫のミイラもありました。猫のような小動物ということですが、ご主人に愛されていたのですね。来世での復活と一緒にいる未来を祈っていたのでしょうね。

私は1990年に 『黄金のエジプト王朝展』を、2013年に『ツタンカーメン展』を見ました。本展ではこれまでの展覧会とはちょっと違った感覚、古代に確かに生きていた人間たちへと思いを馳せました。大変興味深かった。行って良かったです。

鑑賞日:2021年12月22日
会 場:小松庵総本家 銀座

嵯峨英治展ハガキ2020年に同じ銀座のギャラリーオカベで『嵯峨英治展』を見ていますが、今回は以前にも増してカラフル! 元気いっぱいなタマがいました!

会場は銀座の高級蕎麦店、小松庵総本家 銀座。ギャラリーではありません。店内の壁に飾られての個展です。絵をゆっくり鑑賞したい人のために食事のお客を入れない時間、”森の時間”が設けられていて、その時間を狙って行ってきました。

相変わらずに元気いっぱいのタマ。富士山(?)が爆発している作品もあり、本当に賑やか。見ているこちらが元気をもらえます。

嵯峨英治展ハガキお店の方と少しお話しができました。(ギャラリーの方というか、お蕎麦屋の店員さん)嵯峨さんのプロフィールや過去のお仕事などを紹介したポートフォリオ的なファイルを見せていただきました。作品がおしゃれイズムのセットに使われていたり、岡本太郎氏と一緒にお仕事をされていたり。

前回の作品展を見て”タマ”に岡本太郎さんの感覚を感じた私。一緒にお仕事をされている写真を見てちょっと驚きました。(ルノアールを見て梅原龍三郎を思い出した時にも二人の関係性を知って驚きましたが)

開催の期間が長いので途中で作品替えもあるのかな? 今度はお蕎麦をいただきに行こうかな。

鑑賞日:2021年12月23日
会 場:丸善・日本橋店3階

日本橋の丸善で買い物中、本展の広告を見て、3階の会場へ行ってみました。

ファッションの文化史ファッションの文化史ファッションの文化史

展示ではありますが即売会。ワールド アンティーク ブック プラザという洋古書を扱っている丸善内の売り場でした。複数のお店が集まっているようで、いろんなものがランダムに並んでいました。展示されてるもの(触ってはいけない)販売しているもの(手に取っていい)の区別はキャプションを見なければわからず、そして展示品に一貫性が見られませんでした。展示という意識で入ってはいけません。骨董品を探す気持ちで入りましょう。

そして私はちょっと古めの『VOGUE』を購入しました。

・・・・・・・・・・

本展を見て、急に古い記憶が蘇りました。まだ丸善が建て替える前、床が板張りだった頃。3階の絵本売り場の横にあったスペースで、やなせたかし展(もしくはアンパンマン展)を見たと。アンパンマンの優しい顔が印象的だった原画を急に思い出しました。鑑賞の記録が残っていないので時期は全くわかりません。