鑑賞日:1996年 3/18〜5/19 |
会 場:キリン・アートスペース原宿 |
知人から招待券をいただいたので行ってきました。キリン・アートスペース原宿のこけら落としです。
横尾氏がコレクションされた1万枚の瀧のポストカードを縦につなぎ合わせ、まさに『瀧』のように展示していました。暖簾のように潜る場所もあったと記憶しています。ただの瀧なのですが、ワタクシ、なぜかエロく見えてしまいました。横尾氏は三叉路の絵も好んで描かれますが、なんとなく同じ匂い(!?)を感じました。(私の思考がエロいのか?)
今まであまり見なかったと思いますが、本展のプロデューサーとして立川直樹氏の名前が挙がっています。(立川氏は音楽関係だけではないのですね。)プロデューサーの名前がフライヤーに印刷されているのは、初めて見たかもしれません。(これまで気がつかなかっただけか?)
ちなみにプロデューサー以外はこちら。主催・企画・制作はキリンビール株式会社、協力はE.P.A.(ディスプレイ会社?)、株式会社新潮社、コダックイマジカ株式会社です。
鑑賞日:1996年 4/21〜5/19 |
会 場:ラフォーレミュージアム原宿 |
横尾忠則COLLECTION宣言『瀧狂』と同じ日に鑑賞しました。これも同じ知人から招待券をいただきました。
せっかくの1996年新作展
なのに、本展の記憶はあまりありません。『瀧狂』の方が印象深かったのでしょう。
本展のフライヤー裏には『瀧狂』の案内があります。『瀧狂』のフライヤーにも本展の案内がありましたが、こちらは事細かに『瀧狂』のディスプレイの様子までも伝えています。
同じ時期に同じ原宿で、一方はこけら落とし、一方は新作展と、2会場で開催される横尾忠則作品展。横尾忠則ここにあり。敵なしって感じですね。
鑑賞日:1996年 5/21〜5/26 |
会 場:日本橋三越7階ギャラリー |
知人から招待券をいただいて、行ってきました。
Women to Women、女性のフォトグラファーが撮影した、女性の写真を集めた写真展。エロの要素は少なく、ストーリー性のある絵画のような上品で美しい構図の写真が多かった記憶があります。
イヴ・アーノルドとインゲ・モラスはマグナム・フォトのメンバーです。前年に見た『マグナム・シネマ・フォト展』でも作品が展示されていました。細かなことは覚えていませんが、本展でもハリウッド女優を写した写真が幾つかあったかもしれません。
鑑賞日:1996年 5/7〜5/31 |
会 場:G-STUDIO |
この写真展は全く覚えていないのですが、このポストカードはしばらく飾っていた記憶があります。
顔が見えないのに、この子猫はこんなにも可愛い!
他にどんな猫たちがいたのか覚えていませんが、顔の見えないこの子をポストカードにするあたり、いいセンスですね。
鑑賞日:1996年 7月14日 |
会 場:横浜市民ギャラリー |
知人が出品していたので見に行きました。
本展はグループ展(公募展?)で、あまり関連性のない作品群がブースごとに展示されていたと思います。と、言いつつも…、知人のブース以外はほとんど覚えていません。
知人のブースは沖縄、琉球の屋根瓦を動画に収めたもの。屋根瓦を作る工場の取材映像などもありました。台風の多い沖縄の屋根瓦はしっかりと止められているそう。瓦の赤い色は土の中の鉄分によるものだそう。気候や風土で特徴が出てきますね。魔除けのシーサーはその最たるものです。
ビデオを見ながら、南国っぽいなとか、赤いなとか、本土とはちょっと違うな、などと思いました。直接沖縄に行って見たいなぁ〜。
鑑賞日:1996年 10/2〜10/14 |
会 場:横浜そごう8階大催会場 |
ファッションイラストレーター、アントニオ・ロペスの回顧展。ファッションイラストレーションが好きでジェリー・ホールが好きな私。この展覧会は絶対に行かなくては! と気合いを入れて行ってきました。
アントニオロペスはファッションイラストレーターでありながら自己表現を確立しようとする画家のようでもあり、年代によって様々に画風が変わります。しかし、画風が変わってもイラストが持つ力強さは共通していて、見る者の記憶に深く残ります。そんな作品ばかり見ていたので、本展の静的な淑女のイラストを見た時は衝撃が走りました。「あのアントニオ・ロペスがこんな絵も描くんだ!」と。あらゆる角度で女性を描いています。
明確に誰をモデルにしたといったクレジットはないのですが、明らかに誰だかわかる絵が多く、当時のファッション界に明るい人なら楽しい事間違いなしです。
私生活ではムードメーカーだったアントニオ。当時の写真でも社交的で人懐こい様子が見て取れます。自身は飲酒やドラッグはやらないものの、毎晩ドンチャン騒ぎをし、交友関係も広かったようです。テキサスからやって来たジェリー・ホールはアントニオに見出され、グレース・ジョーンズらと一緒にファッション界に人脈を作っていきました。スティーブ・ルベルとイアン・シュレーガーがアントニオのパーティを参考にスタジオ54を作ったのはあまりにも有名な話です。