鑑賞日:2015年 3月12日 |
会 場:セイコーミュージアム |
東向島にあるセイコーミュージアムは完全予約制の時計の博物館。係員がつきっきりで約1時間かけて展示品の解説をしてくれます。ここ、かなり面白かったです!
展示品は太陽から時間を知る日時計からスタートします。天候によっては日時計は不都合なため、水時計や燃焼時計、また海上で使われてきた砂時計などが登場します。日本製では香を炊き燃えた長さで時間を知る香盤時計が展示されていました。このブースでは人間の好奇心と器用さを見せられました。
その後、重りを動力とした機械時計が登場します。その次のクォーツ時計の登場で時計の精度が一気にあがります。セイコーが鉄道に収めた時計が展示されていました。前のブースでは時間を知りたいと想う人間の好奇心を見ましたが、ここでは社会性を見ました。
1階奥にはスポーツ競技に使われている時計がありました。ストップウォッチの機能です。予てから不思議だった水泳のタッチボードと時計の関係がわかりました。タッチボードは奥行きが1cmあり、タッチすると中の圧力が変わることから時計と連動し、タイムがわかるそうです。同じく陸上競技のスタート時に足をかける機械も圧力を計測していてフライングなどがわかるということでした。
2階へ行くと和時計のブースがありました。ここで驚くのが日本の技術! まだ不定時法だった時代の時計は、四季ごとに変わる時間の長さに伴い、時刻の目盛りを可動させられる仕組みになっていました。ん〜ん、やはり日本人って器用なんだな〜。
不定時法:江戸時代、昼は日の出から日の入りまで、夜はその逆と2つに分けられていました。さらに、昼・夜をそれぞれ6つに割ったものを刻としていました。そのため季節によって一刻の長さが違っていたし、地域によって時間のズレが生じてしまいました。
続く2階ではセイコーのブランド、クレドールとクロノグラフの展示がありました。一気に現代に飛びましたね。宝石で飾られた豪華な時計もありました。(バブルの頃に作られた?)
展示物を見ていると、創業からチャレンジを繰り返している企業だな、という印象を受けました。
創業者の服部金太郎の紹介もありました。関東大震災で工場も時計店も焼けてしまいます。当然修理などで預かっていた時計すべてがダメになってしまいましたが、一軒一軒新品の時計を持って謝り歩いたことから信頼を得ていったようです。当時腕時計は相当高価なものだったでしょうから、預かった財産を消失させてしまったでは済まされなかったのでしょう。関東大震災という不可抗力によるものでも言い訳しなかったところで信頼を得られたのでしょう。右の写真は焼けて一つのかたまりとなってしまった時計です。この時の気持ちを忘れないように大切に保存していたそうです。律儀な人ですね。
ベンチのあるスペースがあり、関連の書籍などが置いてありました。その中に和光の冊子、チャイムもあって、グループ企業だよな〜、などと変に感心しました。
セイコーミュージアムは入場無料、館内撮影OK、知識の豊富な係員がつきっきりで案内するなど好感が持てます。その上さらに展示物を解説した資料を6枚ほど無料で配布してくれます。この資料、かなり良く出来ていて、小冊子にして販売してもいいくらいに充実したものです。
このミュージアムは企業の宣伝としてあるのかもしれません。一流企業の余裕を感じました。
鑑賞日:2015年 3月14日 |
会 場:東京都美術館 |
招待券をいただいたので見に行ってきました。無学の私には理解ができない作品も多かったのですが、みなさん個性的で面白かったです。
瀬島匠さんは油彩の中に画題の『RUNNER』という文字が入る斬新なものでした。
高松和樹さんの作品はアニメから飛び出してきたような、妖精のような女の子たち。透明感があり可愛らしいのですが、感情のないお人形の様に見えました。
高島圭史さんの作品は色調が美しく、また見る部分によって親しみやすいイラストのようであったり、どことなくブラックを思い出させるものであったりと見る度にじわじわ味わいのある作品でした。画集が売っていたのですが、この作品の美しい色調が表現しきれてなかったので(特に『きいろいひと』)購入しませんでした。
田丸稔さんは彫刻作品。男性と馬の身体の一部が重なる作品でした。ミノタウロスのような一体型ではなく、それぞれが独立して寄り添っています。(*ちなみにミノタウロスは馬ではなく牛です)
山田彩加さんの作品は命をテーマにしたものでした。私は過去に、作品から大きなエネルギーが発せられているような印象を受ける絵画を何度か見たことがあります。(『横尾忠則展』や『北欧の美術展』などなど)山田彩加さんの作品はその逆で、ブラックホールがあるかのように絵の中に引き込まれてしまいそうでした。吹き出すのではなく引かれるエネルギーを感じたのは初めてで、あまりじっくり見ていられませんでした。
鑑賞日:2015年 4月16日 |
会 場:東京都現代美術館 |
本展はモデル山口小夜子の日本で世界でファッション界のトップにいた軌跡と、デザイナー、パフォーマーとして洋服と向き合ってきた軌跡を追ったものです。
開催前から心待ちにしていました。中学生の頃から大好きだった山口小夜子さん。名前を覚えたのは中学生の頃ですが、それ以前から彼女の存在は知っていました。それだけ当時の資生堂の広告が子供心にも鮮烈だったのでしょう。
エントランスを抜けると彼女の所有物が並んでいました。ファッション洋雑誌や服装史の本、四谷シモンの画集がありました。ストーンズやデヴィッド・ボウイ、沢田研二のレコードなども並んでいました。沢田研二のLPレコード『ロイヤル・ストレート・フラッシュ』は私も持っています。展示品では確認できませんが、このLPの歌詞カードには沢田研二に扮した小夜子がいます。
グラビアは時系列に展示されていました。モデル初期の頃は日本のどこにでもいる女の子という感じでしたが、あっという間に世界の小夜子に大化けします。見る側に訴える力、写真のインパクトが全く違うのです。
当然ですが当時の写真はフィルムです。ブローニーのベタ焼きの展示でカメラマンの目になって小夜子を見ることができました。
パリで日本のデザイナーが活躍し始めた頃と時を同じくして、小夜子も世界進出します。当時ヨーロッパで日本人が働くには大変な苦労があったのではないかと思いますが、デザイナー同様、小夜子も圧倒的な存在感で席巻していきます。小夜子はヨーロッパのモデルたちの美に融合することなく、日本人としての美を貫きました。小夜子の人気は凄まじく、マネキンまで制作され、世界のショーウィンドウまで飾ってしまいます。
1977年、ニューズウィーク誌で「世界の6人のトップモデル」として名前が挙がります。その雑誌も展示されていました。(ちなみに、この時ジェリー・ホールも選ばれています)
本展ではショーの映像も流れていました。大柄なヨーロッパのモデルたちとは一線を画し、小柄な小夜子のしなやかな動きがかっこいいです。(このかっこよさは私もミュグレーのショーで目撃しました)アントニオ・ロペスによる小夜子や、ミック・ジャガーとのツーショットが表紙になった雑誌など、当時のファッション界での小夜子の位置づけがよくわかる展示品が多かったです。ポスター広告だけでなく、洋雑誌からの切り抜きもありました。私もコレクションしている物もあり、ちょっと嬉しくなってしまいました。
1970年代から80年代にかけて、資生堂はそれまでの《外国人女性への憧れ》から《日本人女性の美しさを引き出す》方向にシフトする過程で小夜子と10年以上も専属契約を交わします。変幻自在に美を表現する小夜子の存在は大きなものだったでしょう。小夜子は日本女性の美を創造するミューズでした。ただ美しいだけの存在ではなかったのです。資生堂の広告写真の完成度の高さは国内化粧品メーカーではいまだに超える物がないと言ったら言い過ぎでしょうか。
ファッション界の表舞台から去ると、小夜子は舞台に活躍の場を移します。そこまでは知っていたのですが実際の仕事ぶりを見ていなかったので、後半の展示は興味深かったです。洋服のデザインをしていたことに驚いたのですが、よく考えれば杉野の卒業生なので何も不思議ではないですね。
私の記憶が正しければ、加山又造のモデルをしていたこともあったと思います。
晩年、自らをウェアリスト(着る人)と名乗った小夜子。本展のサブタイトルはここから来ています。かっこいいですね。
写真撮影可能なエリアに入ると6人の小夜子が立っていました。マネキンですが、小夜子の息づかいが聞こえるかのような部屋。神々しささえ感じました。
小夜子の魅力を余すことなく伝えてくれた本展。小夜子に思い入れがある分、とても嬉しく感動的でした。
鑑賞記念に年甲斐もなく、ピンバッチを買ってしまいました。かわいいでしょ!
翌年、2016年に小夜子のドキュメント映画『氷の花火』を鑑賞しました。
鑑賞日:2015年 5月24日 |
会 場:三菱一号館美術館 |
割引チケットとフライヤーに使われているルノワールの絵が記憶に強く残り、本展を鑑賞しました。印象派はたいして好きではないのですが、新しい発見ができました。
観賞日は公開最終日。開館10分前に着いたのですが、大変な行列で、入場するのにさらに15分ほど待ちました。客層は中年のおばさんが多く、印象派人気を見た思いでした。
印象派の画家、モネやセザンヌなどのビッグネームの作品が並びます。その中でも今回ルノワールの素晴らしさに圧倒されました。とりたててフェイバレットではなかったのですが、万人受けする素直な美しさに感動しました。
割引券に使われている『アンリオ夫人』ですが、女優のアン・ハサウェイに似てると思いました。顔だけピントを合わせ、淡くほんわかとした色彩の肖像画。まるで女優のグラビアのようです。
フライヤーの女性はフワフワとした毛並みの猫が印象的ですが、それよりなにより、右手の指輪(エメラルド?)が一番主張していたように思います。この絵で一番見せたかったのはこの指輪なんじゃないかと。
たくさんの画家たちの作品が数点づつ並んでいました。『ラファエロ展』を見た時は、「画家はすべての作品に等しく情熱を注いだのか?」と疑問に思いましたが、今回は画家が技術を高める過程での途中の時期の作品もあるよなと思ってしまいました。
私は美術の専門的な教育を受けたわけではないので感覚でしか絵を見られませんが、だからこそ画家の名前だけでなく作品の持つ印象や作品が放つエネルギーを楽しみに観賞しています。
鑑賞日:2015年 8月29日 |
会 場:群馬県立館林美術館 |
長男と二人で群馬県立館林美術館へ行ってきました。リサ・ラーソン展は昨年秋頃に銀座の松屋で開催されていましたが、うっかりして行き忘れていました。
あきらめていた本展は約1年かけて日本をまわり、7月に群馬にやってきました。東京からはちょっと遠いけど、同じ関東だし、思いきって行ってきました。
館林駅からタクシーで数分。広く大きな敷地の奥に美術館が建っていました。雨が降っていたので散策しませんでしたが、のんびりお弁当を食べるのもいいかもしれないな〜と思う緑の多いゆったりとした庭でした。
リサ・ラーソンはスウェーデンの陶芸家です。よって本展はそのほとんどが陶器の作品でした。
グッズでよく見るシマシマ猫のマイキーやハリネズミのハリエットなどは、リサの作品をグラフィックデザイナーの娘、ヨハンナがイラストに描き起こしたものでした。
リサの作品はとても素敵でした。動物の作品はどれも丸みがあって愛らしく、なでてみたい衝動にかられました。人形も可愛らしく、両手で包むように触ってみたかったです。作家の優しさがにじみ出る作品群で、やわらかな空気がありました。動物はふわふわの毛が見えるようでした。
半券は長くつしたのピッピです。足元にはマイキーもいます。
子供用の絵本などは自由に閲覧できましたが、イラストレーションの原画の展示はありませんでした。
右は中学生以下の子供に配られていたジュニアガイド。丸い形で、広げると丸が3つ並ぶかわいらしいリーフレットです。リサ・ラーソンの紹介やマイキーの紹介、そして鑑賞時のルールとマナーなどが書かれていました。子供にも作家をきちんと理解してもらおうという姿勢が素晴らしいです! ちなみに中学生以下の入館料は無料でした。
鑑賞日:2015年 9月22日 |
会 場:森アーツセンターギャラリー |
『機動戦士ガンダム』の原画などを展示した作品展。長女、長男と一緒に鑑賞しました。入場までに行列しましたが、入ってみるとさほどでもなく、ゆっくり鑑賞できました。
入場してすぐ、ホワイトベースのデッキに見たてたスペースがあり、ホワイトベース越しに戦闘風景が見られました。こちらに武器を構える敵が目の前にいたり、無線で仲間に交信したり、臨場感あふれる演出。戦争のただ中にいる人間たちの精神状態はどんなにか厳しいだろうと思いました。
キャラクター原案やモビルスーツを見ていると、アニメそのものではなく戦争の悲惨さを強く感じられました。
『機動戦士ガンダム』は私が子供の頃に放送していたテレビアニメです。放送後ガンダムは大変な人気となり、シリーズ化しました。私はいわゆるファーストガンダムしか知らないのですが、その後のガンダムはファーストガンダムの伏線のようになっているものもあるようです。
右の写真二枚は地下鉄六本木駅からヒルズに向かう通路。写真をバチバチ撮っているおじさんにつられて、私も撮ってしまいました。左の写真は会場へ向かう渡り廊下です。
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本展開催前だったと思いますが、有楽町のスクランブル交差点近くの大型ビジョンで本展の案内をしていました。ギレン役の銀河万丈さんが開催の案内をしていました。そして最後に一言「立てよ国民!」
鑑賞日:2015年11月 1日 |
会 場:日本橋高島屋8階ホール |
私には、生け花は『花器に剣山があり、花を活け、花を愛でる』といった古い固定観念しかありませんでした。しかし本展の出品作品はアート作品。作家がアートを表現する中で、素材の一つとして植物を使っているのだと思わせる作品ばかりでした。
根が上に向いている作品やピーナツがたくさん並んでいる作品など、凡人の私には理解出来ないような作品も多かったです。どの作品も頭が固くなった私にはとても新鮮で楽しい展覧会でした。
本展は招待券をいただき、長女と一緒に鑑賞しました。高島屋の文房具売り場で万年筆を掃除で預けた時、「少し時間がかかるのでよかったらどうぞ」ということで頂きました。高島屋では買い物の際に、高島屋で行われる展覧会の招待券をいただくことがあります。(たまたまタイミングが良いのかな?)これまで何度もいただいて、素敵な時間を過ごさせていただきました。気がきいて本当に嬉しいです。
鑑賞日:2015年11月18日 |
会 場:東京国立博物館 表慶館 |
開催前から待ちに待ったブルガリ展。友人との日程が合わず、開催後半の鑑賞になってしまい、図録が売り切れで入手できませんでした。(涙)
ドーム型、グリーンの屋根が美しい表慶館。ブルガリの懸垂幕がこれまた美しく溶け込んでいました。(こんな曇天なのに美しい)
エントランス、表慶館のシンボルとも言えるドーム天井に万華鏡のように美しい光を映し出していました。万華鏡の中に迷い込んでしまったよう。ブルガリ式の歓迎です。これから先の展示品にも期待が高まります。
銀細工職人だったブルガリ創始者のソティリオ・ブルガリとその一族は、確かな技術と芸術性からハイジュエリーを扱う高級宝飾店になっていきます。ハリウッド映画で使われるようになってからの輝きと躍進はご存知の通り。会場にはモニターがたくさんあり、そこかしこに大きく美しいブルガリのジュエリーを身につけた女優たちが映し出されていました。現在のミューズ、カーラ・ブルーニはもちろん、イングリッド・バーグマンの動いている姿、久しぶりに見るクラウディア・カルディナーレなど、ちょっと興奮! 日本人では宮沢りえさんの姿が見られました。
誰の目をも奪う大きな宝石を使ったゴージャスなジュエリーがある一方、小さな宝石を使ったジュエリーは繊細な造形でした。
花や虫を表現していたり、幾何学模様だったり、シンメトリーなデザインだったり、単色から多色使いになったり、コインをメインにしたり…。デザインの変遷も見られました。
宝飾は石の加工やデザインだけでなく、鉱山での石の発掘作業等もすべて含めた芸術品であり、価格設定になるのだと、総合的な仕事ぶりを見て感じました。たくさんの人の手を経てあの輝きになるのです。
そして・・。
ブルガリのジュエリーを身に着けるには、美しいデコルテがないとダメ。もちろん美しい装いも。それより何より魅力的な人間でないとジュエリーに負けてしまいます。ブルガリは人を選ぶジュエリーなのかもしれません。
会場後半のエリザベス・テイラーのコレクションはブルガリのジュエリーの中でも格段にゴージャスでした。半券の宝飾もエリザベス・テイラーコレクションです。エリザベス・テイラーは心底ブルガリに惚れ込んでいたようです。
ブルガリのジュエリーの光が私の目に反射して、私の目もキラキラしていたと思います☆ 目の保養になりました。本当に素敵でした。
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2015年鑑賞時に完売で買えなかった図録。2023年、伊勢佐木町の古本屋で手に入れました! ラッキー!
鑑賞日:2015年11月27日 |
会 場:日本橋高島屋8階特設会場 |
招待券をいただいたので鑑賞しました。現在公開されている映画『リトルプリンス 星の王子様と私』で使われたパペット人形などが展示されていました。
十数年前に一度読んだだけの『星の王子様』。内容もあまりよく覚えていませんでした。
『星の王子様』にあまり大きな思い入れもなく、映画を鑑賞する予定もないのですが、パペット人形のかわいらしさは人を引き付けるものがあると思いました。表情がとてもいい! 1体の人形にいくつもの顔が用意されていて、演技プランごとに差し換えるようですが、どれもみんないい表情をしていました。顔の数の多さをみると、撮影の苦労が見えるようでした。
鑑賞されていたのは女性ばかりでした。グッズ売り場にいたのも女性ばかり。『星の王子様』は女性に好まれる作品なのですね。もう一度読んでみようかな…。
鑑賞日:2015年11月29日 |
会 場:江戸東京博物館 |
視覚の文明開化
と銘打った本展。庶民に愛されてきた浮世絵が舶来の写真の普及で衰退する様を、また当時の日本人が写真やカメラを戸惑いながらも習得していった様子を興味深く見ました。
写真の技術が国内に入った時は、それはそれはセンセーショナルな事件だったでしょう。絵師達はどう接したらいいのかわからなかったでしょうね。
モノクロの写真の上から絵の具で彩色したり、平面の錦絵に写真に習って陰影を付けたり遠近法を取り入れていたりと、一つ一つの作品に写真や浮世絵を生業にしていた職人の意地と努力を見た思いでした。
展示品には凌雲閣百美人もありました。当時の人気芸子100人の写真、凌雲閣百美人は100人全ての写真が揃っていました。これは当時浅草にあった高層建築物、凌雲閣の入場者を増やすためのキャンペーンで、好みの女性に一票を投じる人気投票。かなり話題を呼んだようです。本展では当時の人気投票の結果の上位5名の発表もされていました。
実は本展を鑑賞する目的がこの百美人でした。当時の女性が自身をどう表現してるのか興味がありました。しかし、自分の美しさをアピールするというよりも、写真を撮られて緊張しているようでした。まぁよく考えればその通りで、現在のファッション雑誌のグラビアの様にポーズをとった姿を想像していた私はまだまだ知識も想像力も足りません。
百美人を撮影した小川一眞は写真館を開設した人で、後に印刷業も開始します。百美人も出版物として販売していったようです。
小川一眞の作品の中に幼少期の永井荷風が数枚見られました。やはり永井荷風はいい暮らしをしてた人なんだなぁと思ってしまいました。
右の写真は本展最後の展示物で、唯一写真撮影を許された作品、優勝額です。2mを優に超えた大きなものです。描かれている人は横綱白鵬。写真に油彩で彩色したもので、2013年までこの方法で作られていたということでした。ちなみに江戸東京博物館の最寄り駅、両国駅の改札には優勝額が飾られています。ちなみにちなみに、江戸東京博物館は両国国技館の隣です。