鑑賞日:1989年 1月 7日 |
会 場:シブヤ西武B館8階Bフォーラム |
昭和天皇が崩御された1月7日は、月に1度ある土曜出勤日でした。仕事はせずに、みんなでテレビにかじりついていたことを今でもはっきりと覚えています。土曜日は午前で仕事が終わることもあり、午後から本展へ行きました。
【当時の鑑賞日記】
今日は昭和最後の日。だから何をしようかと考えて、その結果、横尾忠則氏の作品を見てケリをつけようと思った。
作品は画家宣言をする前のグラフィックのものばかり。これは講談社から発売になる本のための催しものだが、けっこうよかった。(略) 思ったことは、この人も始めはプッシュピンのような、あっちの方の人たちのデザインに影響されたんじゃないかってこと。なんか雰囲気が似てる。その次はアンディ・ウォホール的なものがあるってこと。そんで画風が少しずつ少しずつ動いてるなってこと。(略) こーゆー人たちは時代の先が読めるんだよね。どうしたらそうなれるのか知りたい。なんかすごい天才に会ったような気がする。 相も変わらず生意気な日記ですが、作品には感動したようです。
鑑賞日:1989年 1月11日 |
会 場:西武美術館 |
【当時の鑑賞日記】
海から出土した美術品の展覧会だったんだけど、何が感動したかっていうと、出土した時のビデオ。これだね。海の中をダイバーたちが砂にまみれた壷に1つづつナンバープレートを置いたりしてるシーンが感動的だったね。考古学者の感動が、ほんの少しだけわかったような気がする。それから思ったことは、昔の人だからって知識が低いなんてことはぜっっっっっっっっっったいにないってこと。紀元前数千年前の作品だって、目を見張るものがたっっっっくさんある。
相変わらず文章力のない稚拙な日記です。展示物と考古学者、発掘作業に感動したようです。
鑑賞日:1989年 1月11日 |
会 場:池袋西武アートフォーラム |
ペーター佐藤さんの作品はパルコの広告で知りました。本作品展のように暖かみのあるパステル画ではなく、エアブラシを使った近未来の女たちといった作品群でした。その印象が強烈だったので、ペーター佐藤さんが180度転換と言っても過言ではないパステル画を発表した時は驚いたものでした。
【当時の鑑賞日記】
よかったよー。すごく。有名人のポートレートが大半だったんだけど1枚の絵の中にその人の性格やら雰囲気やらがすべて入ってるんだ! ただの外人のモデルにしても目が生きてていいんだよね。すっごく。ペーター佐藤のすごさがわかった。
そうそう。パステルだからやっぱはがれ落ちている部分があった。パステルの定着って難しいんだね。
後にペーター佐藤さんが「知人が入院している時に、病院に持って行き、飾ってもらえるような心温まる作品が自分にはないことに気が付いた」と語った文章をどこかで読みました。
鑑賞日:1989年 1月14日 |
会 場:彫刻の森美術館 |
箱根に旅行に行った時に寄りました。
【当時の鑑賞日記】
1時過ぎに入館して4時に閉館だったんだけど、(時間が)足りなかった。また行きたい。
ヘンリー・ムーアの彫刻は対象になってるものがすべて人間で親しみがあった。
ピカソも面白かった。ピカソの語録にこんなのがあった。「人間は芸術を理解しようとするが、鳥の歌を理解しようとはしない」はっとしたね。(略)それから、絵には一面の表情しか与えられないけど壷には無数に描けるってことに気付いた。ピカソのダブルイメージの根本かもしれない。ピカソは芸術家になるために生まれてきた人間の一人だと思う。
何かの気付きがあったようです。
鑑賞日:1989年 1月16日 |
会 場:エスパースプランタン |
【当時の鑑賞日記】
アンディ・ウォーホルは本当に人気があるんだなって思ったね。結構人がいっぱいいたよ。
マリリン・モンローとかバーグマンとかミック・ジャガーなんかがすごくいっぱいあった。あれだけ同じ構造でただ色が違うだけのものを並べられると「僕は機械になりたい」っというウォーホルの言葉が自然に出てきちゃったね。
そんで、これの隣のコーナーでウォーホルの展示即売会があったんだ。人気のあるミック・ジャガーとフラワーは250万円!ミック・ジャガーは2枚あったけど、1枚は売却済。ミックのサインもウォーホルのサインも直筆。ポスターなら6,000円から10,000円ちょっとなのに。やっぱ高いな〜。
これ、ウォーホル自身は求めてなかったことでしょ。でもウォーホル死んじゃったからウォーホルじゃないんだ。ミケランジェロの壁画はミケランジェロが死んじゃってもミケランジェロの画という形で残ってる。でもウォーホルの場合は死んじゃったからウォーホルの精神がなくなってしまった。ウォーホルはこの状況をどう思ってるのかな?(略)
ウォーホルの死後、シルクスクリーンが高騰したことを覚えています。当時の日記にいろいろと書き綴っていますが、ほしくても買えなかったというのが正直なところでしょうね。
鑑賞日:1989年 3月18日 |
会 場:西武美術館 |
本展は第32回安井賞展と安井曾太郎展(生誕百年記念)が併設された展覧会だったのだと思います。
【当時の鑑賞日記】
作品一つひとつが自己主張が強いものばかりだった。エネルギーの集まりみたいな場だったね。
あんまり作品数はなかった。半分以上が安井曽太郎の作品だった。今回の安井賞はわけがわかんなかった。コマーシャル的だなとも思った。(略) 出品作品は全く覚えていません。作品展のチラシを見ると…、やはり安井賞作品は美しいもの、私の理解を超えるものと、様々です。安井曾太郎作品は古い感じはするものの、力強くて目を引きます。 前回の安井賞鑑賞はこちら。
鑑賞日:1989年 4月15日 |
会 場:伊東屋ギャラリー |
当時の銀座伊東屋9階に、個展やカレンダーフェアなどを開催していたスペースがありました。
【当時の鑑賞日記】
おもしろかったよ。けっこう観たことがあるのがあった。この道じゃちょっとした顔の人なんだろうね。一つも言葉なんかないんだけど、みんな通じるもんね。おもしろかった。
単純明快な絵記号は万人が理解でき、しかもナビゲーションの機能も備わっているので、素晴らしいと思います。
鑑賞日:1989年 4月22日 |
会 場:シブヤ西武シードホール |
【当時の鑑賞日記】
作品の数よりも人の数の方が多い展覧会は嫌いだ。覚悟はしてたけどね。モンローだもん。
マリリンの友達ということだったけど、写真を写した場面と言うかケースがすごく少なかったよ。同じような写真が多かったもん。もちろんマリリンの表情は違うけどね。モンローの印象は・・、太ってるなって再確認しただけかな。
フライヤーに坂本龍一さんのコメントが掲載されています。短い文章の中にサム・ショーの人柄やその仕事ぶりを端的に紹介しています。(この方は音楽以外にも文章を書く才能もあるんですね。多才な人です。)
鑑賞日:1989年 6月10日 |
会 場:池袋西武アートフォーラム |
この展覧会は全く覚えていません。でも当時の鑑賞日記を見るととても面白かったようです。
【当時の鑑賞日記】
とにかく面白かった。金次郎君リュックだの、背の高い人用ののこぎり付きスニーカーだの、はっきり言って無駄なものばっかなんだけど、すんごく面白かったね。(略)こんなに笑いながら観た展覧会は初めてだ。
鑑賞日:1989年 6月10日 |
会 場:西武美術館 |
『'89アトリエ・ヌーボー・コンペ展』のあと、同日に鑑賞したようです。スペインへのあこがれが強くなった展覧会でもありました。
【当時の鑑賞日記】
ヌーボー・コンペの軽やかさとは打って変わって、ずっしり重かったよ。入った途端にずっしりとね。
ダリの『永遠の謎』もあった。ピカソはすごい迫力あるね。やっぱピカソってすごい奴だと思う。
人がすごくいた。今スペインブームだからね。やっぱスペインは何かある国だよね。行ってみたい。
バルセロナオリンピックの開催が決まった頃にスペインブームがありましたが、私はオリンピックに関係なくスペインにあこがれを持っていました。
鑑賞日:1989年 6月17日 |
会 場:シブヤ西武シードホール |
【当時の鑑賞日記】
なーんか、あんまし気に入ったお姉さんはいなかったが、なかなかおしゃれでした。エロティックを通り抜けていやらしいものも結構あったが、みな美しかった。
そうそう、キース・リチャーズさんが1枚とマンディ・スミスちゃんが3枚もあった。意外なところで会ってしまってびっくり。
この頃からファッション写真に興味を持ち始めていました。本作品展は広告用の写真以外にも、自らのスキルのための写真が多く、エロティックな作品が多かったように記憶しています。フライヤーの裏面はエロい写真が多いので、アップを自粛しました。
鑑賞日:1989年 7月16日 |
会 場:O美術館 |
【当時の鑑賞日記】
うまい作品と、私でもできるよーな簡単な作品がはっきりとしていた。
相変わらず生意気な日記です。
どんな作品が出品されていたのか全く覚えていませんが、作品に実力の差を感じたようです。アーティストとしてすでに独自の世界をお持ちの出品者の作品と、趣味の範疇の高齢の方の作品とがあったように思います。公募展ではなかったのかな?
切り絵は広いアートの入り口の一つとして、入りやすい分野ということなのでしょうか。
鑑賞日:1989年 9月24日 |
会 場:国立西洋美術館 |
【当時の鑑賞日記】
久々に感動したかな。とてもきれいだった。
感動したと言う割には、あっさりとした日記になっています。
ロマン主義は感情がむき出し(!?)の作品が多いですね。ここでジェリコーの『メデューズ号の筏』を見ています。今、もう一度見たいな…。
鑑賞日:1989年10月28日 |
会 場:ホイットニー美術館 |
ニューヨークへ旅行に行った際に観に行きました。おそらく常設展だったと思います。
【当時の鑑賞日記】
じゃじゃーーーーーーん!ニューヨークのホイットニーだよー!これといってすばらしい作品はなかったが、shopが結構いろいろと揃っててよかったな。売店のお兄さん、えらくかっこ良かった。フラッシュなしなら写真もOKなんて涙もんだよね。
鑑賞日:1989年10月28日 |
会 場:ニューヨーク近代美術館 |
ホイットニー美術館のあとに行きましたが、閉館間近だったので美術鑑賞とはほど遠い、荒い鑑賞でした。
【当時の鑑賞日記】
30分で閉館なのを入り、駆け足で見て来た。ものすごい量の名作ばかり。これでもか、これでもかってかんじ。じっくり見たかったんだけどさ…。「うん、これもあるな」って確認しただけだったよ。くやしいな。また行きたい。
グッケンハイムも閉館7分前だったのであきらめた。またニューヨークへ行って、一日中美術館巡りしたい。
美術館巡りが目的の旅行ではなかったので、時間がありませんでした。
鑑賞日:1989年11月11日 |
会 場:世界デザイン博内、ホワイトミュージアム |
愛知県で行われた世界デザイン博。この博覧会が見たくて名古屋へ行ったのに、展示物も会場もほとんど覚えていません。本展も鮮明には覚えていません。
【当時の鑑賞日記】
なかなかよかった。久々に感動しちまった。
全く様子がわからない感想ですね。確か、中近東の風景や美女を描いた絵画だったように記憶しています。
鑑賞日:1989年11月25日 |
会 場:東京都美術館 |
割引券をいただき観に行きました。
当時の鑑賞日記には本展の感想が残っていませんでした。恐らく感想は、同年7月に見た『第8回 東京きりえ展』と同じだったからでしょう。前年に見た『第11回 日本きりえ展』では感動したものの、その後は目が慣れてしまったのか、あまり大きな感動はなかったように思います。
切り絵作品は個展が面白いかもしれません。
*東京きりえ展は東京在住の方の作品展で、日本きりえ展は日本全国からの作品展だったと思います。
鑑賞日:1989年11月28日 |
会 場:セゾン美術館 |
美術、建築、音楽・文学・哲学からなる展覧会だったようです。メインは美術だったのでしょう。フライヤーはクリムトとシーレの作品が中心に掲載されています。
【当時の鑑賞日記】
やっぱりクリムトはよかった。この人もミュッシャと同じで本当に女性が好きなんだなって思った。
そんで、むこうの建築物はみんな線だけだなって思った。だから人間の像を賑やかにくっつけて補ってるんだって思った。そう考えるとガウディってすごいと思う。
女性が好き
っていう感想に我ながらちょっと驚きます。(言い当ててるかもしれませんが)まあ、クリムトは女性を魅力的に描いていると言いたかったのでしょうね。
何と言っても『接吻』はロマンティックです。『エミリエ・フレーゲの肖像』はもちろん、『接吻』のモデルもエミリエだと言われています。弟の妻の妹だそうです。
フライヤーには”セゾン美術館開館記念”と記されています。西武美術館がセゾン美術館に変わった第1回目の展覧会だったのかな?
鑑賞日:1989年12月 1日 |
会 場:幡ヶ谷社会教育館 |
知人の作品が出品されていたので観に行きましたが、当時の鑑賞日記には感想が残っていませんでした。
こういった地元密着の作品展は各自治体にあるのかもしれません。美術学校出身の方には作品を展示する場所もツテもたくさんあるでしょうが、専門教育を受けてない、趣味で余暇を美術制作に当てている方々は発表の場を見つけるのは大変でしょう。こういった公共の場で公開できるチャンスがあると励みになるし、制作意欲も高まるでしょうね。
美術だけではありませんね。音楽やスポーツでも同じですね。
人間は誰かに認められると嬉しいのです。
鑑賞日:1989年12月 9日 |
会 場:紙の博物館 |
知人の作品が出品されていたので観に行きました。
【当時の鑑賞日記】
中国の切り絵がすばらしかった。
紙の博物館は古い工場を美術館にしたような造りで、しかも森の中にひっそり建っていた(東京都北区ですけど…)ような記憶があります。本展覧会の他に、常設で紙のできるまでを展示していたように記憶しています。そこではじめてパピルスを観ました。
鑑賞日:1989年12月29日 |
会 場:大丸グランドホール |
Nさんに招待券をいただき観に行きました。当時の鑑賞日記には感想が残っていませんでした。
本展はあまりよく覚えていないのですが…、未発表の作品を中心に110点を公開していたようです。
小磯良平は上品な女性の絵のイメージがありますね。半券の絵も大変美しいですね。
大丸で開催された美術展の半券は、裏面に展覧会の概要が書かれています。小磯良平さんは前年の1988年12月に亡くなったようで、本展は氏を偲ぶ展覧会でもあったようです。