鑑賞日:2022年 1月 8日 |
会 場:ギャラクシティ西新井文化ホール |
ギャラクシティで開催された小型惑星探査機「はやぶさ」の一大イベント、はやぶさDAY。3人の専門家がそれぞれの視点ではやぶさを語ります。当日のレポートはこちら。
鑑賞日:2022年 1月 9日 |
会 場:江戸東京博物館 |
何度か足を運んだことがある江戸東京博物館ですが常設展を見たのは今回が初めて。非常に面白かった!
木製のお江戸日本橋を渡り、江戸の世界に入ります。江戸の地図は昨年『タイムトリップ 江戸から東京へ』で見ていて、江戸の交通や成り立ち、位置関係などが頭に残っていましたが、ここでは江戸の街並み、庶民の暮らしぶりが見られました。
一般庶民は長屋で肩寄せ合って知恵を出し合って生活していました。生活道具は姿かたちこそ現在と異なるものの、通信の分野以外は、必要なものは現在と遜色なく揃っていたと思います。かなり快適な生活をしていたのではないでしょうか。戦もなく平和だったし、いい時代のいい都市だったと思います。
長屋の住宅状況を見ると井戸と雪隠は共同で使っていたようで、井戸端会議が目に浮かぶよう。プライベートはないかもしれませんが下町の明るく世話好きで人懐こい人々が見えてくるようでした。
籠に乗る体験や纏を持ち上げる体験、千両箱を持ち上げる体験もでき、ちょっと愉快でした。
川沿いに小さな村がたくさん出来ていき、そのほとんどが現在の地名に残っているのも興味深かったです。
江戸中期の治水は幕府の管理のもと行われており、大きな都市だったことがわかります。
井戸は地下水を汲み上げるのではなく、神田上水と玉川上水を使っていました。水質を管理する水番人もいました。
さて、そんな江戸の町を作ったのは徳川家康です。すごくベタな言い方をしますと、徳川家康さん、非常に頭のいい人ですね。その後に続く将軍が家康同等に頭のいい人だったかはわかりませんが、江戸幕府は約260年続きました。
常設展の脇にある展示会場で行われていた本企画展、あまり展示数は多くはなかったですが、身につけた着物や甲冑、屏風、雛道具などがありました。最後の将軍、徳川慶喜の写真があり、なかなかのイケメンぶりが披露されていました。
副題になっている『将軍家をささえたひとびと』とはその名の通り、天璋院などの奥方もいますが、ひいては宗家を離れた分家の御三家や御三卿がその後を絶やさず引き継いだということ。家康の家筋は7代で終わり。8代将軍から御三家や御三卿の時代に入ります。昨年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』で12代将軍家慶以降の継承の混乱を見ていましたが、奥方の力は意外と大きいです。
鑑賞日:2022年 1月14日 |
会 場:横浜人形の家3階企画展示室 |
発祥の地が横浜だという不二家。横浜人形の家でちょっと勉強してきました。
『ペコちゃんと横浜』は3階企画展示室の展示。常設展を通り抜けないといけない場所だったので、常設展も見てきました。
常設展1階では比較的小さい人形が中心でした。各国の人形と国内各地の人形は素材もいろいろで、その民族の生活も纏っていました。子供達に愛された人形たちです。
2階の人形は1階の素朴な人形とは違い、一歩進んだ商業ベースの人形たち。和洋たくさんの人形たちがいました
ビスクドールは大きな目の愛らしい人形でした。打って変わって日本人形はまるで生きているよう! 「不機嫌なのかな? ジロジロ見ちゃってごめんなさい。すぐ出ていきます。」と声に出しそうになりました。こんな感覚は『四谷シモン 人形愛』以来です。
不二家は創業者の藤井林右衛門が明治43年に元町に開業します。しかし、当時の外国人お抱えのコックがいたため不二家の洋菓子は売れず、大正元年に修行のためアメリカへ渡ります。元町に戻ってからも、外国人から洋菓子を学び続け、レパートリーを増やしていきます。しかし関東大震災で焼失。銀座にも店を構えていたこともあり、本町の店の再建を諦めます。
そして、ペコちゃん誕生は銀座の地でした! 昭和25年に初めて店頭に立ったペコちゃんは紙のお張り子人形でした。当時から舌は出ていたようです。レプリカも展示されていました。
昭和26年に発売されたミルキーは大ヒット商品になります。生菓子ではなくパッケージングされたお菓子も増え、おもちゃがついた玩具菓子も増えていきます。
不二家洋菓子店の販促商品なのでしょうか?(非売品かな?)ペコちゃんのイヤープレートがたくさん並んでいました。
でも〜。う〜ん。なんというか〜。
イヤープレートの絵はペコちゃんではありますが、ディズニーやキティちゃんと区別がつかないような見慣れた可愛らしさ。デザイナーが同じ人もしくは同じ会社なんてことはないのでしょうか(邪推)
館内フラッシュ撮影をしなければ撮影自由ということでしたのでたくさん撮ってきました。時々写り込んでいるのは我が家のぴょん。その昔夫とデートに人形の家に来たときにお土産に買ったかえるです。記録が残っていないのでいつ行ったかはっきり覚えていません。おそらく28年前かな〜。
鑑賞日:2022年 1月23日 |
会 場:山種美術館 |
1984年、高校生の時に見に行った山種美術館は日本橋兜町にありました。知らない間に(2009年に)広尾へお引っ越し。そんな新しい美術館で、山種美術館にゆかりのある奥村土牛を見に行ってきました。
本展には「開館55周年記念特別展」という冠がついていて、「山崎種二が愛した日本の巨匠 第2弾」という副題がついています。山崎種二、惚れ込んでいたのですね。
感想は・・。う〜ん。期待大で行ったのでちょっと肩透かし。「思ってたんとちゃう〜」ってやつです。
どれを見ても何も感じ取れず、あまり感動はありませんでした。美しいと思ったのは枇杷の実だけ。私が勉強不足なだけでしょうが、迫り来るもの、引き込まれるものなど何もありませんでした。
1984年に見た山種美術館の半券に描かれた『舞子素描』は幼さや美しさが同居しつつ強さも見られ、半券なのに大変に美しい。しかし、本展で出品されていた『舞子』は同じ人が描いたとは思えないものがありました。
この方がどれだけ画壇に影響力があるのか、どれだけ素晴らしい”日本の巨匠”なのか知りませんが、私は最初から最後まで感動させてくれる加山又造の方が好きです。
山崎種二は山種証券の創立者。苗字と名前を一文字づつとって山種。ふ〜ん。
鑑賞日:2022年 2月26日 |
会 場:明治神宮ミュージアム |
金地御かるたを見たくて行ってきました。金地御かるたは江戸後期のもので明治天皇の生母、中山慶子から受け継がれもの。絵あわせかるたで、当時のいろいろな職業が描かれていました。教養を身に付けるために使われたもののようです。母、中山慶子は光明天皇の子として生まれた幼い祥の宮に、自分たちとは違う世界を学ばせるために遊んだのでしょうね。大人の手のひらにすっぽり収まる小ささですが、金地なので、高貴な空気をまとっていました。
その隣には能楽かるたがありました。絵札がシテ(物語の主役)で読み札が謡曲というものでした。これも、能楽を覚えるためのもので、明治に入り存続の危機におちいった能楽を絶やさないために明治天皇と皇族や公家たちが遊んだようです。このかるたは金地御かるたの2倍ほどの大きさがありました。金地御かるたは絵あわせですが、こちらは現在のかるたに近いもので、読札に謡曲が細かに描かれていたので、それなりの大きさが必要だったのでしょう。
入り口脇には雛人形がありました。一体一体が大きめで、雛壇飾りはさぞ大きかっただろうと思います。おひなさまのお顔が、平成の天皇(現、上皇)の若い頃のお顔に非常に似ていると思いました。(気のせい?)
ボンボニエールも素敵でした。主に金平糖が入ったボンボニエールは慶事に作られたようです。(現在でも皇族のご結婚時に作られていますよね)小さなものですが、品を感じます。
鑑賞日:2022年 4月20日 |
会 場:江ノ島水族館 |
さかなクンの絵がまた見られるということで、江ノ島水族館へ行ってきました。
さかなクンの作品は2020年に笠間日動美術館で「さかなクンのギョ苦楽展」を見ています。そこで見たものばかりで新作はなかったように思いますが、やはりさかなクンの作品はステキでした。
さかなクンの絵は展示室があるわけではなく、水槽の合間にありました。作品数もあまり多くはありませんでしたが、水族館の魚たちを見て、静かに泳ぐ魚たち、その声を代弁するさかなクンのようでした。
大きな水槽で泳ぐイワシを見ていて、オイルワンドの万華鏡を思い出したりしました。のんびりした1日でした。
鑑賞日:2022年 5月11日 |
会 場:東洋文庫ミュージアム |
ようやくコロナも落ち着きを見せ始め、行ってきました。予約は不要、初めて行く美術館でモリソン書庫にも興味があり、楽しみに行ってきました。
鑑賞者みなさん、私よりも年上の方々でした。かなりたくさんの鑑賞者がいて、とにかくうるさい。美術館なのに、そしてみなさんマスクをしてるのに、どうしてそんな大きな声を出すのでしょう? 非常にうるさい環境で鑑賞しました。
シルクロードの前に世界の冒険者たちの軌跡を簡単に紹介されていました。大航海時代の資料などです。アプローチの仕方が非常に丁寧だと感じました。
メインのシルクロードに行く前にモリソン書庫があります。本の量に圧倒されますが、ガヤガヤとうるさい声に感動も半減してしまいます。
シルクロードは貿易の道。商売だけでなく、宗教や文化の交流と、当時も今も人間の根底、好奇心は変わらないと思いました。
美術館はいつからこんなにうるさくなったのでしょう。声をひそめることなく、通常の声量で話す人たち。日本人のマナーのよさはどこへ行ったの?
鑑賞日:2022年 5月22日 |
会 場:東京都美術館 |
招待券をいただき、行ってきました。スコットランド国立美術館所蔵の作品が展示です。
お名前を知らない画家から巨匠まで、ルネサンス期から19世紀までのたくさんの画家の作品が並びます。エディンバラ城をモチーフにした作品も多かったです。エディンバラ城は国民の誇りだったのでしょうね。
エル・グレコの作品『祝福するキリスト』は見る人に訴えかけるような力があります。また、ゴーギャンの作品はインパクトが強く、異彩を放っていると確認しました。
作品数はたくさんあったのですが大きく感動するものはありませんでした。
鑑賞日:2022年 5月25日 |
会 場:国立科学博物館 |
楽しみにしていた本展。鉱石から商品としての宝石へと加工される様子がわかる大変興味深いものでした。
鉱物ができる過程をしっかりと見せてくれ、鉱物の理解を深めるのに貴重な経験になりました。宝石は地中深く、マグマや地層の中で生まれます。水や熱、その他いろいろな要素が組み合わさり、鉱物が出来上がります。宝石はこの地球だからできたのです。(惑星探査機はやぶさ2が持ち帰ったリュウグウの石は黒っぽく、宝石らしきものはないそうです)
美しい鉱物が発見されるとその希少性から装飾品になっていきます。鉱物の加工が容易にできるようになるまでは、ビーズ類を利用していたでしょうが、宝石のカットができるようになるとその圧倒的な美しさに人々は心を奪われます。
宝石の希少性の大きな要素の一つとして『輝き』があります。鉱石の質の良さとカット技術です。鉱物の綺麗なところだけ取り出そうという発想は人間だからこそのものでしょう。さすがの探究心です。光の屈折率なども研究されより美しい宝石になっていきます。
大きさや色や硬度も重要になっていきます。美しい宝石は時の権力者たちのものでした。権力者が亡くなっても宝石は残ります。
近年の宝石は宝石自体の美しさにも増して、デザインの美しさも重要になってきています。ダリの宝飾は例外としても、ブルガリやカルティエの宝飾はアートです。
鑑賞日:2022年 5月29日 |
会 場:エイプリール ショップ |
渡辺真悠個展。
代々木上原の住宅街にあるこのアトリエ。非常に狭い会場内が渡辺真悠ワールド一色になっていました。
作品はコラージュによる島と、粘土で作った海の生き物たちでした。粘土の生き物は販売していました。数ある動物たちからお気に入りの一つを見つけ出すのは、波打ち際に流れ着いた貝殻を拾うような楽しさがありました。(鯨をいただきました。)
渡辺真悠さんの個展は2017年『メリークリスマス』と、2021年『春の部屋』を見ています。それぞれにイメージを変え、非常に興味深いアーティストです。
鑑賞日:2022年 6月29日 |
会 場:jing |
私のお気に入りのシャンパン、ヴーヴクリコの250年の軌跡をたどる展覧会。若い頃はよく飲みました!
ヴーヴクリコは人の名前、マダムクリコ、クリコ未亡人という意味でした。知らなかった!(ブーブはフランス語の未亡人)
頭もよく商才もあったマダムクリコですが、事業を大きくする使命とは別に、シャンパーニュ地方の土地や葡萄を愛していたのだと思います。会場内には葡萄畑の四季を映像で流しているコーナーがあり、椅子に座ってのんびりと見ることが出来ました。マダムクリコが見ていた風景と大きく変わらないのではないかと思います。
事業が大きくなると、広告や商品のデザインも洗練されていきます。
歴代のラベルが並ぶ展示ケースは、照明が薄暗かったのですが非常に興味深かった。私が馴染みのあるラベルは現行の一つ前のもの。ん〜ん、懐かしい!
ブーブクリコのシャンパンは芸術作品にも登場します。なんと、映画『カサブランカ』にも使われていたのだとか! ボギーが抱えてるのかな?
ブーブクリコのオレンジ色は太陽の色だそう。マダムクリコそのものだったのでしょう。
鑑賞日:2022年 8月25日 |
会 場:東京シティビュー |
水木しげるさんが幼少からどのように妖怪に親しみ、作品として形付いていったのかがわかる、大変興味深いものでした。特筆すべきは、本展は『鬼太郎展』ではなく『百鬼夜行展』だということです。
幼い頃、近所の”のんのんばあ”から精霊などの目に見えないものの存在を伝え聞いた水木。それに加えて自身も不思議な体験を重ねます。幼少の頃から鬼太郎や妖怪たちの土台が出来上がっていたのです。
妖怪は水木が創作したものではなく、地域に残る言い伝えなどを水木が掘り起こしていきます。その指針となったのが柳田國男の『妖怪談義』や鳥山石燕の『画図百鬼夜行』などの古くからの資料でした。(妖怪を視覚化した図画は鳥山石燕が創作した後、歌川国芳や河鍋暁斎らが手がけています。)水木が夢中になって未知の妖怪を探していった姿が目に浮かぶようです。
図画に残された妖怪の姿を忠実に再現し、水木ワールドに加わります。原画には非常に緻密に描かれた背景画に怪しげな妖怪が浮かび上がります。背景のあまりの緻密さに、妖怪がよりリアルに生々しく見えてきます。
人間が道徳をもって生きていくために妖怪が必要だったのかもしれません。よりよく生きるための知恵だとしたら、妖怪は文化遺産でしょう。科学的に実態がないものだとしても、気配を感じるのは人間だからかもしれません。
妖怪を通して、水木しげるさんが非常に魅力ある方だったのだと実感する展覧会でした。
鑑賞日:2022年 9月 9日 |
会 場:松本かつぢ資料館 |
二子玉川の閑静な住宅地のにある松本かつぢ資料館。民家の一室を利用した資料館で、狭いスペースながらも松本かつぢワールドが広がっていました。
松本かつぢは中原淳一と同じ時代に人気を二分した挿絵画家、絵本作家、デザイナーでした。
私は今回初めて松本かつぢさんのお名前を知ったのですが、その絵には見覚えがありました。クルミちゃんという愛らしい名前のついた少女。(資料館前は『クルミちゃん通り』でした)その他にもたくさんの絵本で見てきたかつぢの子供たち。昭和生まれの方なら一度は目にしたことがあると思います。
日本が誇る「かわいい文化」は内藤ルネがスタートかと思っていたのですが、松本かつぢさんの方が先。元祖ですね。
また、かつぢには美しい女性のイラストも多く、絵の幅が広いと思いました。こちらの方がクルミちゃんたちよりも早い時期に描かれたようです。
資料館のスタッフの方は松本かつぢさんの末娘さんということで、非常に上品な方でした。展示室が狭いので、何度も展示替えをするそうです。何度足を運んでも新しい発見があるということですね。
鑑賞日:2022年 9月10日 |
会 場:森アーツセンターギャラリー |
私は1986年に西部アートフォーラムにて開催された『ルイス・キャロルとアリスの原画展』でアリスの原画を見ていますが、本展はアリスの原画だけではなく、アリスが影響をもたらしたアートやカルチャーを紹介する展覧会でもありました。
スタートはルイス・キャロルの人物像に迫ります。数学者だったチャールズ・ラトウィッジ・ドジソンは知人ヘンリー・リドゥルの3人の娘たちに即興の物語を聞かせます。その話が気に入ったアリスは何度も繰り返し読めるように書き留めて欲しいとお願いをします。これが後の出版につながっていきます。
ルイス・キャロルというペンネームも本名のチャールズ・ドジソンをラテン語読みにして苗字と名前をひっくり返し、それをまた〇〇語(忘れた)に直し、さらに英語読みしたと言います。そういったことを面白がる人だったのですね。
1865年に出版された『不思議の国のアリス』の挿絵は当時高名だった挿絵画家ジョン・テニエルの手によるもの。高名で忙しいテニエルが新人作家(!?)ルイス・キャロルの依頼を引き受けたのは、テニエル自身が『不思議の国のアリス』が気に入ったのでしょうね。『ルイス・キャロルとアリスの原画展』ほど多数ではありませんが、本展でも原画が数点見られました。当時はその線の細さにペンだと思いましたが、なんと木版画だそうです! 木版画と銅版画は凹凸が逆。なんと細かな作業なんでしょう! 『不思議の国のアリス』が愛された理由は物語の面白さに加え、テニエルの功績も大きいです!
原作は翻訳され世界中に広がっていきます。そしてアリスは本から飛び出し、映画や演劇などに波及していきます。初期の映画のポスターにはゲイリー・クーパーの名前がありました。(私も2010年にティム・バートン監督の『アリス イン ワンダーランド』を見ています)
ディズニーアニメーションやティム・バートンのアリスの映像を楽しめるブースもありました。日本の子供たちはディズニーアニメの中の、ブルーのワンピースに白いエプロン姿のアリスに親しみを持つ人が多いのではないでしょうか。ディズニーもアリスを世界に広めた一翼を担っているのは確かでしょう。(私の所見も家にあったディズニーアニメ絵本でした)
デザイナーやクリエイターたちがアリスを題材に自分の世界観の中に新しいアリスを生み出していきます。舞台衣装やヴィヴィアン・ウエストウッドデザインのドレス、ゴスロリの服などの展示がありました。
『不思議の国のアリス』から発展したアートやファッションなどを見ていると、子供を対象にした児童書という範疇をこえ、クリエイティブな人々の想像力を掻き立てる稀有な作品なのだと再確認させられました。
これほどにも広く世界中に愛されるアリス。チャールズ・ラトウィッジ・ドジソンが知人の三人の娘たちに即興で作ったお話です。
鑑賞日:2022年 9月23日 |
会 場:東洋文庫ミュージアム |
日本語の不思議に迫る前に、1階ではドナルド・キーン氏による日本文学の英訳した本の展示がありました。
無知な私は氏の存在を東日本大震災で初めて知りました。若い頃、戦時中でも日本人の気質をよく知り、寄り添おうとしたアメリカ人。彼への興味が湧いてきます。そんなドナルド・キーン氏が英訳した太宰や芥川、三島などが並んでいました。
さて2階のモリソン書庫を抜けて日本語の不思議に迫ります。
日本語は一体何処から来たのか。結論を先に言えば、わかりません。中国語ともアイヌ語とも違うということ。ただ琉球の言葉とはとても似ているらしく、派生した言葉ではないかということでした。また、3世紀頃には日本語は話されていて、中国と交流が始まり漢字が入って来た頃に文字が発達していったそうです。
こちらの美術館は二度目になりますが、今回も鑑賞者の声がうるさく、本当に驚きます。前回と同じく、鑑賞者は私よりも年上のお兄様、お姉さまが多かったのに。お友達と鑑賞する方が多く、声を顰めることなく話します。デパ地下に買い物に来ているようなざわつきです。職員が注意する様子もないし、この美術館はおしゃべりOKなのかな?
鑑賞日:2022年 9月25日 |
会 場:三菱一号館美術館 |
ココ・シャネルに焦点を合わせた本展。美術館前は大行列でした。
2019年にB&C HALLで見た『マドモワゼル プリヴェ ガブリエル・シャネルの世界へ』よりは1990年にBUNKAMURA ザ・ミュージアム見た『マドモワゼル・シャネル展』の内容に近いですね。でも出品数はグッと少ないですが。(ちなみに展示品に帽子はありませんでした)
改めてシャネルのイブニングドレスを見ると、見方によってはネグリジェに見えるようなものもあり、当時本当に革命的だったと思います。
それから、黒い服。喪服ではなく普段着で黒。これも当時は革命的だったでしょうね。
鑑賞日:2022年10月 4日 |
会 場:横浜人形の家 |
1999年に日本橋高島屋で見た『中原淳一 美しく生きる』で中原淳一は人形からスタートしたと知りました。中原が創作した人形を集めた本展での新しい発見は、中原淳一は早熟で、独学で美しい人形を作り上げた情熱の人であったこと。当時人気のあった人形作家の中でもおそらく抜きん出て人気であっただろうことなど。
中原淳一はなんと11歳で初めて人形を作り、19歳で人形展を開催しました。なんと早熟だったのでしょう! さらにはその人気から、”誰でも手軽に作れる人形の作り方”が一般の雑誌に掲載されていました。スタイルブックに通じるものがありますね。
展示されていた中原の人形は玩具として子供が遊ぶ人形とは少し違います。非常にスタイリッシュで、人形自体に物語があります。それがスリだとしても、ピエロだとしても、体を丸めて寝ている酔っぱらいだとしても。人形が大人なのです。
展示物は一部を除いて撮影NGでした。唯一撮影可能だったのは、中原淳一の絵から抜け出した企業コラボの人形たち。2019年ちひろ美術館で、ちひろのイラストの子供服を文化服装学院の生徒さんが縫い上げたものを見ましたが、同じような楽しさがありました。
それぞれ特徴はありますが、ボークスの4体の人形が一番中原淳一の世界に近い人形でした。
「ソレイユ」などの本の展示もありました。お馴染みの美しい女性たちのイラストが並びます。しかし本展を見ていると、美しい女性のイラストよりも本展展示の人形の方が中原淳一のパーソナルな感情に近い創作物なのかもしれないと思いました。
常設展示は前回の『ペコちゃんと横浜』の時にじっくり見てきたのでスルーしましたが、2階で展示されている平田郷陽の「粧ひ」だけは今回も見てきました。生きてる人間のようで怖さというか凄みを感じました。
思いがけなく館長さんとお話しでき、楽しい1日でした。
鑑賞日:2022年10月21日 |
会 場:東京シティビュー |
楽しみにしていた本展。友人と行ってきました!
思ったほどの混雑はなく比較的ゆっくり見られました。鑑賞者は私と同年代からお姉さんくらいの方ばかり。「みんなベルバラ好きなのね」と嬉しくなってしまいました。
エントランスではオスカルやアンドレなど、お馴染みのキャラクターたちが迎えてくれました。写真撮影OKです。希望者にはプロのフォトグラファーが撮影してくれました。(多分有料だったと思います)これには長蛇の列ができていました。
懐かしい原画が並びます。2012年に松屋銀座で行われた『ベルサイユのばら展』では原画を大きく引き伸ばし布に印刷したものが天井からぶら下がっていましたが、本店での原画展示はシンプルでした。赤く着色された原画の美しさに見入ったりしました。原画は時系列に展示されていて、懐かしく読み進みました。マーガレットの表紙には嬉しくなってしまいました。
宝塚コーナーでは上演時のポスターが並んでいました。ここは撮影OKのブースで、たくさんの方が撮影されていました。漫画のファンだけでなく宝塚歌劇団のファンの方も多いってことですね。そして嬉しかったのが、初演から近年までの『ベルサイユのばら』のキャストが全て一覧表になっていたこと。私は初期の頃の安奈淳さんや榛名由梨さん、汀夏子さん、鳳蘭さんの名前に懐かしさを感じ、友人は壮一帆さん柚香光さんの名前にニコニコとしていました。
宝塚で使用された衣装の展示もありましたが、私がそれ以上に衝撃を受けたのがオスカルのドレスでした。オスカルがただ一度だけ、フェルゼンのために着たドレス。文化服装学院オートクチュール科の先生と学生が作り上げた生成りの美しいドレス。これは素晴らしかった。池田理代子氏は”フェルゼンへの思いを断ち切るために着たウエディングドレス”といった注文をしたそう。こんな美しいドレスはなかなか見られません。非常に感動しました。撮影不可だったのが本当に残念。(文化服装学院の学生が作る作品はいわさきちひろ美術館でも見ましたがそこも撮影不可でした)
アニメの紹介や実写映画の紹介もありました。近々、劇場版アニメの公開もあると嬉しいニュースがありました。土俵を歩いたオスカルの懸賞幕には驚きました。
色々な企業とのコラボ商品もあり、これからも楽しめそうです。本当に楽しい展覧会でした。
私は2012年に松屋銀座で行われた『ベルサイユのばら展』と2017年に日本橋高島屋で行われた『池田理代子 デビュー50周年記念展』も見ています。
・・・・・・・・・・
こちらの会場では毎回展示作品とのコラボカフェがあります。今回は2店舗とも入ってしまいました。
THE SON & THE MOONのレストランではアフタヌーンティーをいただきました。飲み物は飲み放題。
”アンドレの青いカクテル”
”オスカルのホワイトマリー”
”マリーアントワネットの赤いカクテル”
全ていただきました。私は薔薇が香るマリーアントワネットの赤いカクテルが気に入りました。バラの花びらが散りばめられたお菓子も美味しかった!
THE SON & THE MOONのカフェではオスカルパフェをいただきました。自分でも驚きますが、これ、アフタヌーンティーを食べた直後に食べてます(!!!)
フランス国旗のトリコロールカラーの美しいパフェ。上に乗ったオスカルはウエハースでした。
隣接するホテル、グランドハイアット東京でもベルバラコラボの宿泊プランやコラボケーキなどがありますが、流石にそこまでは利用できませんでした。
展示品を堪能し、楽しみ、グッズを買い、コラボカフェでおいしいお菓子をいただき、とても楽しい1日でした。何より、鑑賞者が同じような年代の方で、みなさん楽しんでいたであろうこともなんだかちょっと嬉しかったです。
(みなさんマナーも良く、友達連れで来ている方もベラベラと大声で話すことなく、会場は至って静か。作品へのリスペクトがマナーの良さに繋がり、大変良い展覧会でした。)
鑑賞日:2022年10月22日 |
会 場:旧新橋停車場 鉄道歴史展示室 |
渋沢栄一に興味を持ってから、明治という時代に思いを馳せることが多くなりました。
本年10月14日は鉄道開業150周年で、新橋駅では記念イベントが行われていました。新橋駅に程近い汐留で鉄道開業にスポットを当てた展示会をやっていました。
旧汐留駅は貨物専用駅でした。現在は再開発でオフィスビルが立ち並び、駅はもうありません。(私の古い記憶では、汐留は電車の線路がわさわさといっぱいあり、その後は更地になっていました。)
現在のオフィスビルの一角、旧汐留駅があった場所に当時と同じ駅舎を復元し、本展の会場である資料館が建設されました。汐留駅はまさに開業当時の新橋駅だった駅で、本展開催にはこれ以上にないもってこいの場所です。
展示物はオリジナルの資料は少なく、写し中心。展示物の量もあまり多くはなかったのですが、ビデオによる解説が展示資料を理解するのに役立ち、面白かったです。
江戸末期、鉄道は福沢諭吉の西洋事情で国内に紹介されたり、英国で見聞を広めた長州藩の伊藤博文、井上馨、井上勝、山尾庸三、遠藤謹助により、その必要性も広まります。
明治政府が始まると、諸外国に国力を見せつけるためにも、また利便性のためにも鉄道開業が計画され、鉄道頭として井上勝が任命されます。イギリスから建築技師としてエドモンド・モレルが招かれ、2年半ほどで完成したといいます。
新橋から横浜まで、途中敷地買収に応じてもらえなかった区間は海に堤を作り、走らせそう。現在の田町から品川あたりは西郷隆盛の反対で、海に造った堤を走ったそうです。その路線が現在の山手線の路線です。
東京駅ができると、開業当時の新橋駅は汐留駅になりました。烏森駅が現在の新橋駅となりました。
鑑賞日:2022年11月 2日 |
会 場:旧横ギャラリー |
現在の桜木町駅は旧横浜駅です。その桜木町駅の商業施設の一角に鉄道の歴史を紹介する展示がありました。正直言って、先月見た『鉄道開業150年記念 新橋停車場、開業!』よりもこちらの方が展示物も説明もきめ細かく面白かったです。無料でしたが、得るものが非常に多い展示会でした。
1850年頃、鉄道、蒸気機関車の情報は日本にやってきた漂流民や海外事情の報告書などから江戸幕府へ伝わります。
アメリカ人のマシュー・ペリーが幕府に蒸気機関車の模型を献上。またロシア人のエフィム・プチャーチンが長崎のロシア船上で模型を佐賀藩家臣に見せるなど一部の人々にその存在が知られます。
その後、井上勝はじめ長州藩の鉄道推進派が明治政府に提案するも西郷隆盛、大久保利通ら反対派多数のため予算がつかず。
予算をイギリス公使のハリー・パークスに相談。明治政府に投資家ネルソン・レイを紹介するもここでもトラブル。
オリエンタルバンク横浜支店長のジョン・ロバートソンによりようやく資金調達の目処が立ちます。また、明治天皇が東京と京都間を効率よく移動するために鉄道は必要であるとのお考えがあり敷設が決定します。ここが大きいでしょうね。明治天皇が初めて京都から東京に行幸された時は、確か輿で1ヶ月ほどかかったと本で読んだ記憶があります。
建設師長エドモンド・モレルがイギリスから招かれ、指示を仰ぎ、明治5年10月14日、日本初の鉄道が完成します。(*旧暦9月12日)
開業に伴い、西洋のいろいろなものが入ってきますが、その最たるものが定時法の採用でしょう。この辺りは2015年にセイコーミュージアムで見た『きらめきと精度』で勉強しました。
展示物には当時の制服や職員が携帯していた懐中時計、鐘、改札鋏などがありました。賃金表があり、東京駅、品川駅、川崎駅、鶴見駅、神奈川駅、横浜駅が縦横に書かれた運賃表などもありました。
式典列車には3号車に明治天皇、有栖川宮、三条実美、井上勝が乗車されました。開業に反対していた西郷隆盛も4号車に、大蔵省三等出仕の渋沢栄一は6号車に乗車しました。日比谷練兵所や品川沖の軍艦から祝砲が放たれ、また薩摩藩の洋式吹奏楽団の演奏もあったよう。祝日の国旗掲揚はこの時に始まったようです。(現在、都営バスでは祝日には必ず日の丸をフロントに掲げていますね)
鉄道の開業を果たした明治政府は造幣や製糸、教育にも力を入れて体制づくりをします。すごい時代ですね。そんなことも教えてくれた本展。勉強になりました。
鑑賞日:2022年11月 6日 |
会 場:渋沢栄一史料館 |
現在の東京都北区の飛鳥山公園内に渋沢栄一の邸宅がありました。現在は重要文化財となる建物を含め、北区が管理しています。
渋沢栄一の命日である11月11日、それに先立ち、6日日曜日に渋沢栄一史料館にて青淵忌がありました。
渋沢翁の葬儀の様子が延々とモニターに映し出されていました。各界の著名人と思われる方々や交流があったであろう制服を着た生徒たちなど、参列者が後を絶ちません。また、霊柩車を見守る沿道に集まった人の多いこと多いこと。民間人でありながら多くの人々を救い、慕われてきたのだと、映像が証明してくれました。
常設展は渋沢翁の年齢と出来事を年代順に展示されたもの。資料はあまり多くはありませんが、クロニクルとしては非常に詳しいです。しかしこれ、見たことがあります。昨年、銀座和光の和光ホールで見た『渋沢栄一展』で展示されていたものでした。
史料館は渋沢邸の跡地に建てられたものですが、史料館の傍には渋沢翁の息遣いがそのまま残ったかのような当時のままの建物、青淵文庫と晩香濾があります。 重要文化財です。
鑑賞日:2022年12月16日 |
会 場:東京国立博物館 平成館 |
たまたま見たNHK『英雄たちの選択』という番組で、東京国立博物館の創設に尽力した町田久成の生涯を知りました。東京国立博物館は今年創設150年になり、所蔵の国宝89点全てを公開した特別展です。
工芸、絵画、書と展示品は多岐に渡り、非常に興味深かったです。自分の興味が広がりました。
これまで埴輪に興味を持ったことなどなかったのですが、鎧を纏った埴輪の堂々たる姿に感動してしまいました。造形の美しさもそうですが、装備品から当時の生活と知恵を垣間見ることができました。
そして一番感動したものが刀剣でした。
一度にこれだけの刀剣を見たのは初めてでした。まるで生きているかのような刀。それは玉鋼から刀へと姿を変えた時に命を吹き込まれたかのよう。武将の手元にあり日本の歴史を見てきた証人たち。個性的な波紋や反りが美しい。そして一番嬉しかったのが「小龍景光」。これは浅田次郎氏の小説『天切り松 闇語り』の「大楠公の太刀」で英治の幼馴染の宮子が命尽きる前に一度見たいと言った国立博物館の小龍景光がこれなのです! 小説にあるように刀に龍の姿があります。明治に入り明治天皇に献上されたと言うことです。
このブースは若い女性がとても多かった。『SPY×FAMILY』のヨルさんのようにうっとり見ている女性がいました。
孝明天皇の輿もありました。これは明治天皇が京都から東京に行幸された時にも使われたそう。こういったものが残っていることに驚きました。
・・・・・・・・・・
写真は博物館本館。設計は銀座和光と同じ渡辺仁です。(本展は平成館での展示でした。)
博物館脇には初代館長 町田久成の胸像がありました。
薩摩藩の町田久成は留学先のイギリスで大英博物館に強い影響を受けます。帰国後、新政明治政府より明治6年に開催予定のウィーン万国博覧会の出品を任されます。
その頃、神仏分離令が敷かれ、廃寺になると共に古器宝物が破壊・売却される事案が多数出てきたため、明治政府による大掛かりな文化財調査、壬申検査が行われます。その指揮を取ったのが町田です。調査団はスケッチや写真などを使い、膨大な量の古器宝物を記録していきます。
明治5年3月にウィーン万国博覧会出品の準備も兼ねて湯島聖堂で明治政府による国内初の博覧会が開催され、大成功を収めます。
明治6年にウィーン万博博覧会開催と同時に現在の内幸町に国内初の博物館を開設。旧知の仲の大久保利通の後ろ盾もあり、明治10年に上野に本格的な博物館の建設が許可され、開館します。
町田は博物館内の体制作りを始める前に館長を退いたようですが、大英博物館から構想を練り、宝物を集め、予算を通すという一連の行動は薩摩藩出身の彼にしか出来なかったことでしょう。
鑑賞日:2022年12月16日 |
会 場:東京国立博物館 表慶館 |
東京国立博物館 平成館で開催されていた国宝展。それに合わせ150年先を見越して現在の日本が誇るカルチャーの展示が表慶館で行われていました。
ゴジラやガンダム、たまごっち、プリキュアなど、何年も愛され続ける人気者たちはこの先も人気を獲得し続けるのでしょうね。初音ミクなどの新しい技術は150年先には古典になってるかも。学研の雑誌、科学の付録は私も常々素晴らしいと思っています。食品などは選ばれた基準がよくわかりませんでした。
これら展示物を見ていて、江戸東京博物館の常設展示を思い出しました。
鑑賞日:2022年12月16日 |
会 場:東京都美術館 |
楽しみにしていた岡本太郎展。2001年に日本橋三越で鑑賞して以来、21年ぶりです。
可愛らしい笑顔でお迎えされたエントランス。会場は動画以外は撮影OKだったのでたくさんの方が写真を撮っていました。
展示されていた彫刻や椅子は線が柔らかく暖かい印象。存在感もあり、とても楽しい気分にさせてくれます。
展示物の中に椅子がありました。
「あっ!これっ!」
1987年に船橋西武美術館で鑑賞した『ルオー展』で感動した椅子に非常によく似ていました。全く関係ないとは思いますが、30年以上の時を経ての再会が嬉し勝ったです。(船橋西武美術館の椅子はゴムの素材でした。普通に売っているものでしょうが、当時感動したのでした)
絵画は相変わらずのエネルギッシュなもので力強いです。ファスナーの金属が印象的な『森の掟』は三越でも見たと思います。
会場終盤、出口へと続く壁に、車窓のように絵画が一列に並んで展示されていました。私が作品を見ているのではなく、作品に私が見られているよう。ここでちょっと不思議な感覚に陥りました。
「これ、音がついていたんじゃないかな?」
「『ゴーッ』や『シュー』といった音が作品ごとについていたはず! 音が付いて完成なのでは?」
絵画がうねうねと動いているように感じたので、音がないことを不思議に思いました。
「芸術は爆発だ!」のCMの言葉があまりにも有名な岡本太郎さん。エネルギッシュで破天荒なイメージが強いですが、実は非常に繊細で純粋な人だったのだと本展で感じました。遊び心もありキュートな人だったのでしょうね。
鑑賞日:2022年12月19日 |
会 場:小松庵総本家 銀座 |
2021年に引き続き、老舗蕎麦屋 小松庵総本家 銀座にて嵯峨英治展が行われています。(2023年2月まで開催)
いつものようにとても元気でエネルギッシュなタマ。ただ今回は一部の作品にメッセージを感じました。
『PAECE』
平和への願いがありました。
現在ウクライナで続く戦争は、非常に理不尽で、ロシアの侵略行為は理解できません。
そんな想いをタマに乗せて『平和』を表現されていました。ウクライナ国旗カラーの作品がウクライナ支援を表しています。
とても元気でかわいいタマ。家に1枚あったら素敵だなって思いました。