鑑賞日:2023年 1月19日 |
会 場:bunkamura ザ・ミュージアム |
マリー・クワントといえばミニスカート。ミニスカートといえばスウィンギン・ロンドンです! 60年代のロンドンを覗きに行ってきました。
人気のあるファッションデザイナーは大勢いますが、名前が残るデザイナーはファッションを超えた革新的な提案をした人です。(美術でも同じことが言えます)富裕層のためのオートクチュールから、若者のためのプレタポルテを広めます。ファッションの概念を超え、女性の生き方さえも変えてしまっています。《革新的な提案をした人》という意味では、顧客は違いますがココ・シャネルもそうですね。シャネルはミニスカートを「下品」だと痛烈に批判していますが…。
美大生からファッションデザイナーになったマリーは瞬く間に時代の寵児になっていきます。富裕層だけではない女の子のためのファッション、女の子が注目されるようなファッションを作り続けます。世界大戦後という時代背景も彼女に味方したのでしょう。生活やファッションが激変していくスウィンギン・ロンドンでマリーは活躍します。
マリーの代表的な作品でムーブメントにもなったミニスカート。これは突然できたわけではありません。ワンピースの裾が徐々に上がっていく変遷が、ワンピースの展示で見られました。階級社会が残る当時のロンドン。動きやすいファッションは解放感があり、若い女性の生活を変えたことでしょう。
洋服の他にも、縫い目のない靴やカラフルなコスメなど、若い女の子の心を掴む商品がラインナップされます。そして驚いたことにパターンも販売していました! ファッションは上流階級の裕福な人の特権ではなく、誰もが楽しめるもの。マリーは一般の女の子たちをおしゃれにしていきました。スウィンギン・ロンドンのムーブメントを作った立役者の一人です。
本展で非常にコーフンしたのがジーン・シュリンプトンのグラビアがたくさんあったこと! ジーンファンにはたまらない展覧会でした! ジーンのグラビアの前にジーンが着ている服が展示され、感動! スウィンギン・ロンドンの中心にいたジーン。なんと美しい! そしてショップでもコーフン。販売されていたポストカードの半分がジーンのグラビア! ジョン・フレンチ撮影の美しいジーンが並んでいました。
ちなみに、ジョン・フレンチ撮影のパティ・ボイドとローリング・ストーンズのグラビアも、本展では大きなパネルで展示されていて、ポストカードの販売もありました。
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日本でのミニスカートブームはツイッギー来日から。女性自身と東レが彼女を招へいしました。女性自身は雑誌の発行部数を伸ばすため。東レはそれまでのストッキングから新しく発売するパンティストッキングの発売促進のため。その後、森英恵さんが日本航空の制服をミニスカートでデザインします。
鑑賞日:2023年 2月17日 |
会 場:国立科学博物館 |
自然界の毒、人為的に作られた毒、人間の生活に欠かせない優しい毒など、さまざまな毒が紹介されていました。非常に分かりやすく勉強になりました。
動植物が自らの体に蓄える毒は獲物を仕留める、あるいは身を守るためのもの。生きるために作られるものです。一番イメージしやすい毒で、子供でもその危険性を知っています。蛇や蜂、キノコ類などがそれに当たります。
鉱物由来の毒はある程度知識がないと解かりません。砒素、水銀、鉛、カドミウムがその代表。日本では公害で多くの人が被害に遭った悲しい歴史で知られます。
また、ガスにも毒性が強いものがあります。硫化水素や二酸化硫黄などがその代表です。不幸にも温泉地で事故が起こることがあります。
*余談ですが、30年以上前のワタクシの愚行を。初めて就職した会社の分析室で、アンモニアの試薬瓶から直接匂いを嗅いでしまったことがありました。死ぬかと思いました。”馬鹿は死ななきゃ治らない”というのは本当で、同じことをクロロホルムでもやったことがあります。白衣の天真爛漫だった頃です。因みに、一番嫌いな匂いはピリジンです。
人が作り出す毒は元はと言えば害虫駆除などのために開発されたのでしょうが、当然人間にとっても有毒です。有機化合物、比較的簡単にできるのでしょうね。
終盤になると生活の中にあるものが展示されていました。利用の仕方によっては毒になるというものです。アルコールというのは思わず笑ってしまいました。チョコレートも展示されていました! 葡萄もそうですが、犬や猫に与えてはいけないそうです。
(*でも…、その昔『チョコレートからヘロインまで』という本で、その依存性について読んだことがあります。うっすらの記憶になっているので読み返そうかな)
本展には『鷹の爪団』やQUIZ KNOCKなどのサポーターがいました。「毒」と「毎」と「苺」の区別がつかない『鷹の爪団』のすっとぼけた吉田くんは可愛らしく、また、東大卒の伊沢拓司くん率いるQUIZ KNOCKがクイズを出して、本展を盛り上げていました。
また、図録が非常に良く出来ていて、毒の図鑑になっています。装丁も味があってかっこいいです。
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本展のエントランスに『毒』の定義が掲示されていました。
ヒトを含む生物に害を与える物質を毒として定義して扱う。
私にとっての毒は実の両親だったなと毒舌をはき、本展のレポートは終了。
鑑賞日:2023年 3月23日 |
会 場:東京ステーションギャラリー |
佐伯祐三は30年という短い人生の中の、ほんの4年ほどの間に素晴らしい作品をいくつも残しています。
風景画は個人的に特に好きでもないのですが、佐伯祐三の風景画は素敵です。特にパリを描いた作品はとても素敵でした。
日本の風景、特に『下落合風景』は見たことのない土地なのに何故か懐かしさを感じました。私の持つ古い昭和の風景と合致したのでしょう。
パリの風景画はポスターなどを描くことで文字が入り込み、街の様子が見てとれて素敵でした。数点の作品の中に、空気・大気を見たような不思議な感覚がありました。映画の手法の《静止画から動画に移っていく》そんな感覚です。建物はもちろん止まっていますが、次の瞬間に絵画内に描かれた人物が歩き出していくように見えました。特に『ラ・クロッシュ』は非常に”カッコいい”と思いました。(グッズになってなかったのが残念)パリを描いた作品はどれもキラッとしていました。
佐伯はユトリロが好きだったようです。私はユトリロより佐伯の方が好きです。
パリには同じ時期に藤田嗣治も滞在していたようですが、接点はなかったようです。
左はチケットです。展覧会情報が少なく、スタイリッシュですね。
鑑賞日:2023年 3月28日 |
会 場:金山南ビル美術館棟 |
『鬼滅の刃』はテレビのアニメで知りました。原画は2018年の『創刊50周年記念 週間少年ジャンプ展 vol.3』で数点見たはずなのですが全く記憶がありません。ただ、半開きになった扉の箱の中に女の子がいるオブジェを見たのははっきり覚えています。そう、当時は全く知らなかったのです。
社会現象になっている『鬼滅の刃』。漫画はところどころ荒い部分もありますが、非常に面白い。文学的だと思います。(アニメはその行間をうまく描いています)
本展はキャラクター毎に焦点を当てていましたが、物語の順を追って並んでいたので作品を通して読んでいった感じでした。
原画が展示されていた壁には、漫画のワンシーンを切り取り、拡大印刷したキャラクターたちがいました。壁の絵と原画が同じ場所があり、見比べましたが、やはり印象が大きく違います。同じ絵なので情報としては全く同じなのですが、印刷と人の手によるオリジナルでは違います。原画には作者の念が乗っているということでしょう。まとっている空気や息遣いがあります。
本作には名言が多いです。原作者 吾峠呼世晴さんの世界観が大きく心に響きます。加えて、本作『鬼滅の刃』が海外でも人気が高いことは非常に興味深いです。どんなふうに英訳されているのだろうと気になって英語版の漫画も購入してしまいました。
(例えば、鬼が《明治何年?》と問い《今は大正》と聞いて激昂するシーン、日本人ならすぐに時間の経過を表現したものだとわかりますが、英語版はどうなってるんだろう? という素朴な疑問などなど)
4月からテレビアニメで『刀鍛冶の里編』が始まります。(先日、一足先に映画館で見てしまいましたが)まだまだ『鬼滅の刃』ブームは続きそうです。
鑑賞日:2023年 4月16日 |
会 場:すみだ北斎美術館 |
現在の墨田区の地に生まれ、その生涯を送った葛飾北斎。雅号の”葛飾”は当時その一帯が武蔵國葛飾郡であったことから名付けられたそうです。縁のある墨田区に2016年に開館した、すみだ北斎美術館。葛飾北斎に特化した美術館です。
鳥を描いた作品の企画展を鑑賞してきました。じっとしていない鳥をとても丁寧に描いていました。当時、鳥は庶民に最も近い生き物の一つだったのでしょう。鳥に興味があったのは芸術家だけではなかったはずで、需要もあったと思います。
挿絵のような作品や習作が多く、河辺暁斎を思い出しました。(ちょっと雰囲気違うけど)
いく種類もの鳥たちの中で、やはり鷹は大きさも佇まいも別格だなとも思いました。
海の白波が白い鳥へと姿を変え空を飛んでいる様子は、ドラマチックで非常に素晴らしかった。デザイン的でもあり、さすが北斎だと思いました。
常設展では北斎の代表作をデジタルで紹介していました。
デジタルで作品を紹介している傍らで、北斎の蝋人形がありドキッとしました。(昭和的な展示!?)畳に平伏し筆を走らせている姿は映画『HOKUSAI』の田中泯さんのようでした。
さすがは世界の北斎。観光客らしき海外からの鑑賞者がとても多く、狭い美術館のあちらこちらで外国語が響いていました。
現行の日本のパスポートに北斎が採用されています。そして来年刷新される千円札にも北斎の『富嶽三十六景 神奈川沖浪裏』が採用されます。葛飾北斎は日本の顔であることは間違いありません。
鑑賞日:2023年 4月19日 |
会 場:旧岩崎邸庭園 ~ 三菱史料館 |
旧岩崎邸庭園は三菱三代目社長 岩崎久彌の邸宅でした。現在は東京都が管理する重要文化財です。
邸宅の建築は当時政府が招聘したジョサイア・コンドルによるもの。上野博物館、鹿鳴館、ニコライ堂、三菱一号館、古河虎之助邸(現 古河庭園)も彼の手によるもので、とりわけ岩崎家とは縁が深かったようです。
門からなだらかな坂が続き、チケット売り場を通過して車寄せへ。邸宅の玄関では履き物を脱ぎ、自分の履き物を持って見て回りました。
邸宅、特に洋館は非常に大きく頑丈で、博物館などの公共施設のようでした。天井の高さ、扉の重々しさ、柱の大きさ、ベランダの広さ、壁紙の豪華さ、廊下の広さ、デザイン性の高い床板など、贅沢を極めた作り。立ち入りはできませんでしたが、地下通路でビリヤード場につながっているそうで、社交の場として使われていた名残も見えました。個人宅というよりも個人仕様の鹿鳴館といったところでしょうか。生活感はありませんでした。
和館はコンドルではなく、大河喜十郎によるもの。一部はカフェになっていました。
日本間を見て、やっと家族の姿が見えてきたように思いました。もちろん贅沢ですが、家族が生活していた部屋なんだろうなと思いました。
カフェでは日本庭園を見ながらお抹茶がいただけます。さすが岩崎邸だけあり小岩井農場のお菓子があったので、チーズケーキを頂いてきました。
和館から洋庭園へと出ます。玄関先の飛石の大きさにも驚きました。一つ一つが飛石の概念を大きく超えるサイズで、贅沢さを物語っていました。
この日は庭のお手入れをしていて、大勢の庭師さんがいらしたので、庭は通ってきただけ。芝生の端に「本庭園には薔薇はありません」と立て札がありました。古河庭園と間違える人がいるのかな?
重要文化財になるだけのことはあり、洋館も和館も非常に贅沢で荘厳な作りのお屋敷でした。
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旧岩崎邸庭園を出ると三菱史料館の案内板がありました。どうせなら見に行こうということで引き続き見てきました。
旧岩崎邸庭園のお隣に建つ三菱史料館。気をつけていないと前を通り過ぎてしまうような地味な場所でした。
史料館なので創始者の岩崎弥太郎から始まり、戦後の財閥解体や現在の三菱グループの功績などを映像と資料で公開するものでした。
渋沢栄一好きの私には岩崎弥太郎はどうしても好きになれません。でも岩崎弥太郎も苦労人でした。日本を良くしようと思っていたのは間違いありません。海運業での渋沢との確執の紹介があるものの、相手の渋沢栄一の名前は明記されていませんでした。そりゃそうか。
三菱のマーク スリーダイヤは土佐藩主の家紋 三つ柏と、岩崎家の家紋 三階菱を合わせて作られたそう。土佐藩主の家紋と重ねることに忠誠心が見てとれます。情が厚い人だったのかもしれません。また、展示されていたおたふくを見て商売人の顔も見られました。
来年から一万円札の新券が渋沢栄一になることにより、岩崎弥太郎もクローズアップされていくことでしょう。その時はおそらく悪人のような扱いになるんだと思います。そこは誤解のないように三菱は創始者をフォローしないといけませんね。
鑑賞日:2023年 5月28日 |
会 場:池袋PARCO本館7階 PARCO FACTORY |
スーパーの精肉売り場で見かける羊のキャラクター、ジンくん。ピ◯チュウに似ていて愛嬌があります。
ラム肉の販売促進の広報とジンくんのグッズ販売が目的なのでしょう。愛らしいキャラクターを使いながらも”食肉としてのラム肉”をきちんと紹介していました。
羊肉の部位の名称紹介や羊肉解体の動画も流れていて、羊肉を全国に広めたい本気度(!?)が見られました。(動画は刺激が強いので幕がかかり、見たい人だけ幕を上げて見るようになっていました!)
羊が飼育される北海道の雄大で牧歌的な風景も紹介されていました。
ジンくんの故郷はクラーク博士の銅像でも有名な羊ヶ丘展望台だそう。クラーク博士と同じポーズをとっていました。ジンくん、大志を抱いています。
ジンくんは北海道ジンギスカンPRキャラクターであり、札幌市公認のスマイルPR大使でもあります。PR大使の役割を見事に果たしているジンくん。道内のゆるキャラグランプリで1位をとったこともあるそう。グッズ展開も多く、その人気ぶりがよくわかりました。
鑑賞日:2023年 7月30日 |
会 場:東京都写真美術館 |
昨年亡くなられた田沼武能さんの回顧展。生涯に渡り撮り溜めた作品が並んでいました。
作品は第1章「戦後の子供たち」第2章「人間万歳」第3章「ふるさと武蔵野」に分かれていました。
第1章「戦後の子供たち」は戦後の日本国内の子供達の日常を切り取ったもの。全てモノクロ写真です。モノクロームの中に奥行きを感じます。
貧しくともキラキラした目が印象的な子供たち。紙芝居を見つめる子供達の真剣な顔。賽銭箱を除く子供たち。非常に生き生きとしています。
第1章「戦後の子供たち」は子供達の写真ですが、戦後日本の復興の様子を垣間見られるジャーナリズムでもあります。写真が撮られた場所は浅草、佃島、足立区本木、木場、等。記述が無いとどこの場所だかわかりません。極め付けが、永田町界隈と記されたバラック小屋。後ろに見える国会議事堂らしき建物がなければ下町の風景と違いがありません。そんな貧しい時代からよく復興したなと驚きます。
第2章「人間万歳」は海外の人々や生活の様子を写したもの。黒柳徹子さんのユニセフ親善大使の各国訪問に同行したときに撮り溜めたものです。
国は違えど笑顔は万国共通。子供も大人も無邪気な笑顔があり、これを失ってはいけない、戦争はいけないと思ってしまいました。
第3章「ふるさと武蔵野」は東京下町、浅草出身の氏が追ったふるさとの風景。『武蔵野』は現在の東京都武蔵野市のことではなく、『京都』に対しての『武蔵野』(武蔵國!?)の様です。
この章は風景が多かったのですが、その美しさがすごい。目を見張る美しさ。紅葉も雪も藤も美しい。そして色が抜群に美しい。
田沼さんは浅草出身で、ご実家は写真館だったそう。私の古い記憶では、昭和の頃、浅草は写真館やカメラ屋さんが多かった。私の父が初めて一眼レフを買ったのも浅草でした。
田沼武能さんの作品を一度にこれだけ見られて嬉しかったです。
鑑賞日:2023年12月 8日 |
会 場:国立新美術館 |
ファッションデザイナー イヴ・サンローランの軌跡。私は1990年セゾン美術館で『サンローラン展』を見ているので、今回で二度目。モンドリアンドレスなど、33年の時を経て再会した作品もありました。
サンローランの華やかな服は記憶に残るものが多いです。フォトグラファーの力もありますが、ファッション誌を飾るグラビアに美しいモデルとセットで目に焼き付いています。本展では見覚えのある美しい作品が、神々しく、時にはランウェイの上のように軽やかに並んでいました。
イヴニングドレスや『バレイ・リュス』のためにデザインされた舞台衣装など、非日常のドレスが優雅で非常に美しい。そしてその数の多さにサンローランの非凡さを感じます。ゴッホやモンドリアンなどの画家をオマージュした作品もあり、遊び心も垣間見えます。
セゾン美術館の時よりも作品数が多く見応えがありました。(そりゃそうだ。規模が違うもんね)本展の展示品の中にセゾン美術館の『サンローラン展』の図録がありました。サンローランの洋服は一着も持っていないけど、この図録は持っています。