鑑賞日:2015年 7月30日 |
映画館:角川シネマ新宿 |
親が決めた不本意な結婚よりも純粋な愛を貫く物語。若尾文子の可憐さと根上淳の一途さが話を引っ張ります。公開当時の女性の結婚がどれだけ自由だったのかわかりませんが、女性を勇気づけた映画だったのかもしれません。製作は1955年です。
とにもかくにも若尾文子がキュート! その他のキャストも驚くほどに豪華でした。勝新太郎の全く似合わない学生服姿や、やけに色っぽいピアノ教師の京マチ子が特に強烈でしたが、市川雷蔵、長谷川一夫、船越英二などなど、どのシーンにも昭和の大スターが顔を出しています。
角川シネマ新宿で行われた「若尾文子映画祭 青春」。60作品を一挙上映という企画もの映画祭でした。見たい作品は沢山あったのですが、1作品3日間の上映とタイトなスケジュールだったのでなかなか日程が合わず、この作品のみの鑑賞になりました。しかし、大変好評だったようで、冬にアンコール上映が決まったもよう。冬にも何本か見られるかな…!?
鑑賞日:1983年 8月11日 |
映画館:後楽園シネマ |
シブガキ隊主演のアイドル映画。『ボーイズ&ガールズ』と2本立てで観ました。
【当時の鑑賞日記】
前回の『ボーイズ&ガールズ』よりはSTORYが複雑になってますね。
いろんな効果を出すためか、ちょっとかわった映画の撮り方をしているがちっとも効果なんてない。青春映画だからいいのかもしれないけど。 それから、あまりこの手の映画は見ないものだから出演者が幼く見えた。鑑賞日:1983年 8月11日 |
映画館:後楽園シネマ |
シブガキ隊主演のアイドル映画。『ヘッドフォン・ララバイ』と2本立てで観ました。本作はシブがき隊主演のアイドル映画第1作目の映画です。
【当時の鑑賞日記】
これはすでにテレビで観ていたから、別に何とも思わなかった。
なんともあっさりとした当時の感想です。
当時のクラスメイトにシブガキ隊が好きな友人がいて、映画のサントラを繰り返し聴かされていました。彼女の影響だったのか、ぴあの招待券が当たったのか、今となってはよく覚えていません。
画像は後楽園シネマのシネマニュースです。後楽園シネマは名画座なので基本映画は2本立てですが、当初は『ヘッドフォン・ララバイ』とアニメの『パタリロ!』とのカップリングだったようです。手書きで『ボーイズ&ガールズ』と書かれているのがいいですね!
鑑賞日:2024年 7月27日 |
映画館:新文芸坐 |
『ときめきに死す』を見る前に上映していたので懐かしさのあまり見てしまいました。今思うと森田芳光さんが監督(脚本も!)をしていたなんてびっくりです。
高校1年生のひと夏の出来事。学校を抜け出した3人の恋や喧嘩などの見せ場を盛り込んだアイドル映画。
3人のメンバーカラーがあり、洋服やバッグ類などの小物に配色され画面が非常に明るくポップ。海や緑の木々などの自然の中で3人が強調されていました。
デビュー作なので台詞は棒読み、演技もイマイチですが、もっくん・本木雅弘さんはすでに俳優の芽があったように感じました。
清水クーコさん、懐かしかった! 小学生の頃『出没!おもしろMAP』という番組が大好きで、クーコさんが大好きでした。
まだお若いかたせ梨乃さんが熟女オーラを放っていて、3人にとってちょっとしたスパイス的な存在でした。籐の椅子に座りエマニュエル夫人のパロディもなかなかの貫禄でした。
そして、テニスをするおばさん軍団に青木和代さんがいてニヤリ。青木和代さん、個性的で好きです。なんと言っても声がいい!
高校生の頃、シブがき隊の大ファンの友人がいて、映画同名のLPを聞かされていました。その中には沢田研二作曲の曲もあり、映画中に懐かしく聴きました。(あらためてやっくんの巻き舌に驚いたりして!)
・・・・・・・・・・
上映後に映画プロデューサー三沢和子さん(森田氏の奥様)と宇多丸さんのトークショーがありました。
本作は他で制作が頓挫して、森田氏に話がきたようです。当時森田氏は入ってきた仕事を全て受け、1ヶ月で3本の脚本を書いたそう。撮影は12日間。うち2日はシブがき隊の3人が多忙で東京に帰ってしまったとか。当時の森田氏の勢いの素晴らしさとジャニーズ事務所の強大さがわかるエピソードです。(ジャニーズ事務所としては当時ものすごい人気のたのきんトリオにシブがき隊も追いつけ追い越せで力を入れていたようです)
本作は同名のLPがリリースされる前に制作されたらしいです。LPの曲全てを映画内で使って欲しいとの要望には時間の関係で答えられなかったとか。本作で聞けなかった曲を久しぶりに聴きたくなりました。
当時森田監督は『の・ようなもの』で注目され、本作が初めてのメジャーデビューにあたる監督作だったそう。年配のスタッフの中にポンと入っていたらしく、出演者のシブがき隊の方が年が近かったはずだとおっしゃっていました。そのせいか本作がデビュー作でもあったシブがき隊の3人も思い入れが強かったようで、森田監督が亡くなった後、SNSで心のこもったメッセージを寄せてくれたと三沢さんがおっしゃっていました。