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過去の独り言
渋沢栄一の名前を知ったのは2019年のニュースだった。2024年に刷新される新一万円札の顔になる人物として名前を知った。日本の最高額の紙幣になる人だというのに全く知らなかった。
今年のNHK大河ドラマ『青天を衝け』は渋沢の生涯を追った作品だった。例年の大河ドラマよりも放送回数が少なかった。というのも…
昨年開催予定だったオリンピックとパラリンピックが今年開催され、また昨年の大河ドラマ出演の某女優の逮捕によりドラマが撮り直しされたため、年を越して今年の1月まで放送がずれ込むという前代未聞のハプニングも重なり、放送回数が大幅に減った。(通常大河ドラマは1月スタートで12月に終了する)普段50話のドラマが41話しかなかった。当初終了の日程が決まってなかったのだが「年内で終わり!」と決まってからは恐らく脚本も大変だっただろうと思う。前半の丁寧な流れと違い、終盤は駆け足の展開で荒いと思ったが、渋沢栄一の偉業を伝えるには充分のドラマだった。
主演の吉沢亮さんは『銀魂』で見たことはあるものの、特に注目していなかった。しかし『青天を衝け』では好演をしていた。彼の演技もこの作品の魅力を上げた一つだった。
今日、『青天を衝け』が最終回を迎えた。一年を通して渋沢栄一の生涯を見た。ドラマは感動的だったが終盤のたたみかけるような進め方に、その隙間にある物が見たいと思った。本を読んで勉強しようかと思う。
足立区の西新井文化ホールでちょっと面白いフェスがあった。アースシェーカー、SHOW-YA、D.T.R+の出演で、前座に足立区の軽音の大会(みたいなもの?)で優勝した高校生バンドがオリジナル曲を1曲演奏するという実に面白い企画だった。
高校生バンドは制服姿(?)が初々しく、面白いものを見たなって感じ。
D.T.R+は全く知りませんでした。
D.T.Rは元 X-JAPAN&元ラウドネスの故 沢田泰司と竹内光雄が作ったバンド。現在は新生D.T.R+として活動しているよう。そして竹内光雄氏は東京スクール オブ ミュージック&ダンス専門学校の副校長をしているらしく、そこの学生さんたちがお揃いのTシャツを着てスタッフとして働いていました。高校生バンドの演奏といい、学生のスタッフといい、青少年育成(!?)とRockの対比が実にユニークでした。
D.T.R+の音楽はもちろん初めて聴いた音楽ですが、上手くてクレージーって感じでした。
D.T.R+の次に登場したのがSHOW-YA。アースシェーカーを見に行ったのですがSHOW-YAも面白かった! 寺田恵子はカッコいいのにキュートで可愛い。そして歌声が実に気持ちいい! 2年後にはみんな還暦越えらしい。そんなガールズバンド、世界のどこにもないでしょう。
アースシェイカーはお馴染みの曲のオンパレード。昔からのファンはたまりません。
最後は竹内光雄、寺田恵子とアースシェイカーでツェッペリンの『ROCK'N ROLL』いや〜、楽しい!
緊急事態宣言が解除になったとはいえ、座席は1席空いた市松模様。観客はマスク着用で声援は一切ダメ。スタンディングはOK。意思表示は手を叩くことだけ。こ〜んな制限があったけど、みんなノリノリで楽しかった。(ノリノリで踊る人続出)観客は本当に誰も声を出さず、さすが日本人! と感心しきり。こんなロックコンサートはあまり体験できないだろうな。面白かった!
いや、ちょっと信じられない。
7月23日に東京オリンピックが開幕した。東京でオリンピック開催が決まった当初は非常に楽しみに思っていたが、実際は少し状況が変わった。楽しめない心の持ちようがあった。思いがけないウイルスの拡大があり、バグだらけのワクチン予約システムを採用し続けている自治体への疑問があった。しかし一番大きかったのは恩師の逝去だ。
東京オリンピック自体も開催前に様々な問題に直面していた。競技場のデザイン変更には驚いたが、それ以上にエンブレムのデザイン変更が衝撃だった。その後、JOCのメンバーで女性蔑視発言や過去のいじめやコントの内容等で辞任や解任が相次いだ。さらにはおまけで金メダルをかじっちゃった市長も出てきた。
自身のメンタルの理由でオリンピックを今までのように楽しめなかったが、選手はとても頑張っていた。メダルの数も金27個、銀14個、銅17個と素晴らしい成績だった。メダルの数は過去最高だという。
開会式にはドラクエなどの音楽が流れ、国のプラカードは漫画の吹き出しで、日本らしいと思った。パラリンピックの開閉式も楽しみだ。
オリンピックは8月8日に閉幕したが、ようやくメンタルも上がってきて通常通りに戻ってきたので、パラリンピックを注目していこうと思う。とはいうものの、コロナの拡大によってはこの先も楽しめないこともありうるが・・。
コロナやオリンピックで日本中がヒートアップしている最中、悲しいニュースが入ってきた。子供たちがお世話になった小学校の先生が亡くなった。56歳という若さで病魔に倒れた。
あんなに愛情いっぱい、ユーモアいっぱい、笑顔いっぱいの先生は見たことがない。私が児童・生徒だった頃を含めても、こんな素敵な先生はいなかった。
長女も次女も担任になったことはなかったが、A先生は学年主任だったので、学年単位で面倒を見てくれていた。担任シャッフルウィークというユニークなアイデアもA先生ならでは。4クラスの4人の先生が日替わりで他のクラスの担任になった。A先生にも期間限定の担任になってもらった。長男は授業を受けたことはなかったが、囲碁将棋クラブでお世話になった。囲碁や将棋の対戦の後、先生の趣味でなぜか怖い話を聞かされ終了になった。別名、囲碁将棋オカルトクラブは男の子には人気があった。
出勤前の早朝、児童の通学路を歩き、安全を確認していた。誰のものかわからない落書きでも、あればすぐに飛んでいき、消していた。
誕生月の子を集めて誕生日会を毎月やってくれた。小学校高学年でも誕生日会はみんな楽しかったようだ。
希望者による一発芸大会には学年みんなで笑ったという。
受け持ちじゃない学年が修学旅行に出ると、こっそり車を飛ばして宿舎に出向き、オリエンテーションとして怖い話だけをしてトンボ帰りしたり、修学旅行から戻った児童たちを盛大にお帰りなさいパフォーマンスで迎えた。学校だよりには算数クイズを出し、やらなくてもいい宿題を出した。
A先生は子ども同様に保護者の声も良く聞いた。そして保護者への言葉に嘘はなかった。当然のことながら、同僚や後輩の教員からも慕われていた。
A先生は若い頃、青ヶ島の学校に赴任されたことがあり、そこでの生活は島のみんなが家族だったそうだ。都市部に戻ってからも、先生の教育は青ヶ島の家族のように子供たちや保護者と接していたのかもしれない。
悲しみの中、お通夜へ行った。先生のお人柄だろう、このコロナ禍でもお別れに来た人が沢山いた。ざっと見ても400人はいたと思う。狭い会場で会場整理の人が静かにテキパキと誘導していた。
56とは早すぎる。まだまだ30年は生きられたはずだ。だって日本の平均寿命は世界一なんだから。なのに。本当に残念だ。これは日本の損失だと思う。
本当にありがとうございました。 心よりご冥福をお祈りいたします
衝撃のニュースがあった。若山弦蔵さんが亡くなった。88歳でした。
ショーン・コネリーやジーン・バリーなど、たくさんの吹き替えやナレーションで私たちを楽しませてくれた。
私は以前勤めていた職場で若山さんをお見かけしたことがある。ちょっぴり会話もした。あんなにかっこいい声は後にも先にも聞いたことがない。緊張でドキドキしてしまった。
残念でしょうがない。心よりご冥福をお祈りいたします。
ニコルさんが亡くなって1年になる。世界中がコロナウィルスに振り回され、ニコルさんのニュースは小さなものだった。1年が経ち、そう、亡くなってしまったんだよなと思い出す。
私が初めてニコルさんを見たのはまだ小学生の頃だったと思う。当時から環境保護活動を熱心にされていた。子供心に、自然を大事にしてすごいな〜と感心したことを覚えている。お優しそうなその風貌にも親近感があったと思う。
思春期になり、再びニコルさんの名前を見る。ニコルさんはブライアン・ジョーンズと交流があったという。ブライアンはウェールズの学校時代の後輩で、当時からやんちゃな子だったという。学校の先輩後輩以上の交流があり、柔道をやっていたニコルさんがストーンズの用心棒的なことも一時期していたというから驚きだ。初めは環境保護に尽力するニコルさんとローリングストーンズのリーダー、ブライアンがうまく結びつかなかった。でもよくよく考えるとブライアンは自然や異国の文化に強い興味を持つ人だった。もしかしたら、あまり器用に生きられない彼にとってニコル先輩は憧れだったのかもしれない。
長野県にあるアファンの森。(アファンとは風の通るところという意味だそうだ)失われた森を再生するため、ニコルさんが少しずつ土地を買い足し、大きくしていった森。ニコルさんの居住地だ。ニコルさんは友人や子供たちを招いては森の美しさや豊かさ、人間との関わりを語ったという。
2011年の東日本大震災では被災した宮城県東松島市に森を背後に抱えた木造建の素敵な小学校、宮野森小学校の設立に尽力した。
友人から親しみを込めてニックと呼ばれていたニコルさん。日本国籍を取得し日本人と日本の国を愛してくれた人。
4月9日、英国エリザベス女王の夫フィリップ殿下が亡くなった。99歳だった。
昨年『KING and QUEEN 展』で見た成婚当時の写真が脳裏に焼き付いている。初々しい二人、特にエリザベス女王の可愛らしさが際立つ写真でした。昨日、95歳の誕生日を迎えられた女王のお寂しさも一際でしょう。
ミック・ジャガーも自身の Twitterでお悔やみを寄せている。ミックの父は体育の教諭で、当時アメリカのスポーツでイギリスに馴染みのなかったバスケットボールを国内に広めたという事や、教員を辞めてからもスポーツに関する仕事をしていたという事も知っていた。そういったコミュニティでフィリップ殿下と交流があったようだ。
ギリシャの王子として生まれたフィリップ殿下の生涯は波乱万丈だった事でしょう。王室に入っても苦労が絶えなかっただろうけど、エリザベス女王の愛は本物だったのでしょう。ご冥福をお祈りいたします。
亡母が還暦前後から御朱印を集め始めた。全く興味がなかった私は、母が亡くなってから御朱印帳をどうしたらいいのか迷った。お札のようにお焚き上げしてもらうのだろうか?
職場で御朱印の話をした時に、3歳年上の先輩と30歳の青年が御朱印集めをしていることを知った。30という若さで休みのたびに神社仏閣に行くのだという。信心深いのはもちろん、御朱印集めは楽しいのだろう。御朱印帳は10冊以上になるそうだ。
昨年、小網神社にいった時に龍の御朱印帳が目に入った。あら素敵。買ってみた。そして御朱印もいただいた。
積極的に御朱印集めをしているわけではないが、たまたま昨年暮れにいった明治神宮は鎮座百年で御朱印も特別な印があった。先日行った湯島天神の御朱印では期間限定で梅の絵があった。こういった巡り合わせがあると御朱印集めも面白い。神社仏閣には宝物殿もあり、素敵な絵画に出会うかもしれないと思うと巡り歩くのも楽しいかもしれない。
亡母が残した御朱印帳をじっくり見ていたら…。あら! 身延山久遠寺の御朱印があった! 墨龍を見てたの!?
東日本大震災から今日で10年。地震、津波、原発事故、これまで経験したことがない不幸な出来事だった。当時のニュースで識者が「復興には数十年単位で時間がかかる」と言っていたが、本当にそうなっている。
当日は都内でも大変大きな揺れだった。勤務先からバスと徒歩で、家に着いた時には夜になっていた。幼かった3人の子供たちの元気な顔を見た時にはホッとした。夫は勤務先近くの同僚の家に一泊し、翌日帰ってきた。家族が揃った心強さは何にも変え難く、見たことのない神様に感謝した。
2010年6月、飯館村が図書館を建てる予算がなく、読み終わった絵本を譲って欲しいと呼びかけた『あなたにつなぐ飯舘絵本リレー』のニュースを見て、ルルとララやかいけつゾロリなど、子供たちが読まなくなった児童書や絵本を子供たちの了解を得てたくさん送った。本のお礼に手作りの栞を送りますということだったので栞の到着を待っていると、丁寧なお礼状とあろうことか飯館の美しい景色や行事を写した記念切手が届いた。落ち葉を貼り付けたような素朴な栞を想像していたのに、切手シートを送ってきたのだ。誠実というか真面目というか…。それが飯舘村の方々の人間性なのだと思い(腹黒な政治家にこの気質はわかるまい)次はお礼を遠慮してまた送ろうと思っていた。絵本の受付は年度末の、翌年3月31日までだったので、3月末に送ろうと準備をしていた。しかし3月11日に地震が起こり、原発事故があり、飯舘村の人々は避難を余儀なくされた。(現在は飯舘村に人は戻ってきている。)この件以来、知人は一人もいないけれど、この村がずっと気になっている。
私たちは東北を忘れない。大きな事はできないけれど。
当サイトの美術鑑賞は鑑賞順にインデックスを付けている。高校生の頃からの鑑賞順なので、鑑賞の時期をうっかり忘れてしまった美術展のページを探すのに一苦労。それならばジャンルごとにまとめたインデックスも作ろうと思い立つ。が、高校2年の美術の授業が私の最後の美術教育で、美術史なんかやってない。全くわからない。とりあえず本でも読んでみようと、図書館であれこれと借りて読んでみる。そして驚く。西洋美術史おもしれ〜!
画家の性格と生活、時代背景、そして恋愛。沢山の要素が重なって作品が作り上げられる。そりゃそうだよね。なんでそこをもっと勉強しなかったかなぁ。予備知識を持って鑑賞したらもっともっと面白かっただろうなぁ。あ〜、30年以上ももったいないことした〜。
でも、予備知識を持たず鑑賞する様になったきっかけがありまして…。
もう30年以上前になります。銀座文化2で某映画を鑑賞した際、上映前にシートに座りパンフレットを読みながら上映を待っていると、あろうことか、そのパンフレットに評論家の記事で映画の結末が書かれていたのです。オールドムービーだからみんな結末を知っているのでOKなのでしょうが、私は初見だったのでがっかり。ある意味”事故”だったのですが、それ以来、映画でも美術でもできるだけ予備知識を持たずに鑑賞しようと固く決心したのでした。
でも、予備知識があると作品理解に一役買い、面白さが格段にアップすると、ここ数日でよぉ〜くわかりました。30年以上の時間を経て、某映画評論家と和解(!?)したワタクシ。五十路のおばちゃんがどれだけ頭に入るかわかりませんが、吸収出来るものは吸収して映画も美術も鑑賞しようと思いました。
するとまた疑問が。ジャンルがわからない人が出てきます。藤田嗣治とかエッシャーとかどこに入れたらいいの〜!?
今年の節分は124年ぶりに、今日2月2日だという。国立天文台のサイトによると節分が2月3日でなくなるのは、2月4日だった昭和59年(1984年)以来の37年ぶりで、2月2日になるのは明治30年(1897年)以来の124年ぶりなんだそう。
さらに国立天文台のサイトから引用すると、地球が太陽の周りを1周するのは365.2422日(365日+6時間弱)かかるそう。その1周を24分割(二十四節気)すると毎年遅れが生ずるという。そりゃそうだわな。しかし0.2422日というのが曲者で、4年に一度の閏年で一日戻すと戻しすぎてしまう。そんなズレを補正していくうちに立春が2月3日に。節分はその1日前なので2月2日になったという。
なんだかすごいなぁ。2009年の元日にはうるう秒ってのもあったよね。宇宙って生きてるって感じがする。面白いよね。
明日、東京、埼玉、千葉、神奈川に緊急事態宣言が発令される。昨年4月に続き2度目だ。
飲食店以外は前回よりも制約がゆるいような気がする。コロナウィルスを封じ込めたいのはやまやまだが経済を止めたくないという苦渋の選択なんだろうな。商業施設や美術館、映画館も条件付きだけど営業していくようだ。完全に人の動きを止めたいわけではないってことなんだね。塩梅が難しいんだね。
テレビでたくさんの識者が持論を語っている。立場が違うから当然意見も違ってくる。病院は逼迫しているという。
前回私の職場では、パート従業員全員が自宅待機となり、3ヶ月も続いた。今回はどうなるだろう。
私は2005年から形や内容、時にはサイトのタイトルやハンドルネームも変えながら、サイト作りを続けている。(詳しくはこちらへ)当時の独り言を復活させるべくcssを新たに作りながら編集した。
当時の独り言を読んで恥ずかしいやら、おかしいやら。昔は子供達が小さく、寝静まってからサイト作りをしていた。子供達が寝ているので酒を飲みながらキーボードを叩いていたことも数知れず。酔っ払いながらのページ更新。そんなことを懐かしく思い出した。
今年から独り言ベージは枠線だけでなくカラフルにしてみた。ちょっと気に入っている。また、久しぶりに2段組にしてみた。左メニュー、あまりクールじゃないけど、とりあえずこれでいいか。余裕があったらもう少し洒落乙な形を考えよう。
あけましておめでとうございます。暗く辛い令和2年・2020年が暮れ、新しい年になりました。今年は新型コロナウィルスが収束して、明るい話題の多い年になってほしいと、心から思います。
そして、今日は私の誕生日です。娘たちがケーキを用意してくれました。私の思い入れの強い、大好きなキルフェボンのタルトです。ホールで食べられるなんて幸せ♥
今年はいい年にしたいなぁ。WEBサイト作りにもう少し時間を割きたいし、新しいタグやJavaScriptも覚えたい。
そんなことを言ったって、サイト更新は恐らく今年も亀の歩みでしょうが、興味のある方はお付き合いください。