top > Ruby's hitorigoto > Ruby's hitorigoto 2009年
過去の独り言
職場の先輩で年下の青年から「まだ早いけど、お誕生日おめでとうございます」という言葉を添えて手作りクッキーをいただきました。プレーンクッキーの中にハートを形どったココアクッキーが入っていた。くっきりはっきりとハートになっているものもあれば、アルファベットのLの字のような間延びしたハートもある。その形に再び感動。こんな経験は後にも先にもないだろうと思う。
辛いことが続いた今年、ここにきてプチハッピーが続いている。
浅田次郎氏のサイン会へ行ってきました。
サインをしてくださっている間、ちょっぴりお話もさせていただきました。終始にこやかな浅田氏。ほんの数分でしたが、お話の楽しい方で、ちょっと笑わせてもくれました。とても魅力的な方でした。
17年ほど前にお世話になったRのEさんと再会した。Eさんは私をあたたかく迎え入れてくれた。短い時間だったけど、とても楽しく嬉しかった。
当時私はEさんのもと、数人の仲間たちと忙しい時間を過ごした。残念な事にそのバランスが崩れ、解散することになってしまった。
ずいぶんと御無沙汰してしまったが、17年という月日が嘘のように小さな事まで鮮明に思い出された。私たちは夫婦漫才のように別れる直前まで大笑いし、次回の約束をした。
人の出会いって面白いなといつも思う。長く時間を共有してもさほど親しくならない人もいれば、ほんの短い時間を共有しただけなのに強く心に残る人もいる。Eさんは心の隅でずっと気にしてくれていたようだ。
私はいつも人に恵まれる。こればかりは神に感謝としかいいようがない。これからもたくさんのいい出会いがあるといいなと思う。
NHK教育で『YOU』の再放送をしていた。当時この番組が大好きだった私は懐かしく見た。
当時の時の人、Y.M.O.が出演していた。Y.M.O.のメンバーも司会の糸井重里さんも若く、同じく若かった当時の私の記憶もよみがえってきた。
ニューミュージックが全盛だった当時、Y.M.O.の登場は衝撃だった。ソウルフルな匂いの全くしないテクノポップは新しい未来の象徴だった。当時の私は東京にいる事にワクワクしたものだ。もしタイムマシンがあったら、50年代はハリウッドに、60年代はSWINGING LONDONに、70年代はスタジオ54があるN.Y.に、80年代はTOKIOに迷わず行くだろう。自分が思春期だった事もあるが、当時の東京は刺激的だったように記憶している。それに当時の東京は大人だったように思う。自分が子どもだったからそう感じてただけかもしれないけど…。
Y.M.O.や糸井重里、忌野清志郎、沢田研二、山口小夜子、横尾忠則、ペーター佐藤、浅井慎平…、思春期の私にはキラキラした存在だった。
明日の「YOU」はRCサクセション特集を再放送するらしい。明日もチェックしなければっ!
ヤバいなぁ。キヨシロー・ショックがこんなに続くとは思わなかった。ほんと残念で仕方ない。
Rock' n Roll やブルージーな曲など魅力的ないい曲が多い中、私は『Summer Tour』が一番好き。イントロからサビに向かって昇って行く感じがたまらない。
ん〜、まだちょっと立ち直れそうにないので、しばらく落ち込んでいよう。キヨシローはアチラで笑ってるんだろうな。「ありがとう。感謝します!」って声が聞こえるような気もする。キヨシロー! ありがとうね!
NHKで追悼番組を放送していた。「あ〜、本当に逝ってしまったんだなぁ」と思う。
私が聞く数少ないJ-POP、RCサクセション。キヨシローを最後に見たのは20年位前だったかな、日比谷の野音だった。生「愛し合ってるかい?」はあれが最後だった。RCを和製ストーンズと言う人がいるけど、ちょっと違うと思う。キヨシローはキヨシローでMICKではない。
私は日本のトレンディドラマというものをあまり見ないけどフジテレビの「ギフト」というドラマは見ていた。このドラマに出ていたキヨシローはとってもよかった。(このドラマには主題歌として使われた『TOKIO JO』を歌うブライアン・フェリーもカメオ出演していた!)『徹子の部屋』に出演した時のキヨシローもよかったな。どちらも忘れられない姿だ。忘れられないといえば坂本龍一とのデュエット『いけないルージュ・マジック』も衝撃的だった。アルバム『COVERS』のすったもんだもファンにとっては愉快なエピソードだった。
キヨシローは齢を重ねても、いつまでもいつまでも永遠の子どものようだった。あんなにピュアでいられる人も珍しいと思う。
番組の最後にナレーションで「キヨシローさん、愛し合ってますよ」と言っていた。これは私も自信をもって言える。
キヨシ!愛し合ってるよ!
キヨシローの訃報が流れた。数年前から体調を崩していたのは知っていたが残念でしかたない。
RCのコンサートは3、4回行ったと思う。当時のキヨシは子どもがかわいくてしかたないといった感じだった。とてもハッピーな姿だった。
家族に病人が出るってほんと辛いです。大事な人を失った傷はそれ以上に辛いです。病気が大きかっただけに闘病生活も大変だった事でしょう。心より御冥福をお祈り申し上げます。
テレビを見ていたら…、おっ! ヨーコ・オノだ! 先生という扱いでゲストが出演者に講義をする番組だ。
19年前、赤坂の草月会館で行われた『踏絵・オノヨーコ展』を見たことがある。『画家』や『彫刻家』といった部類の人ではなく、どちらかというと『詩人』という印象を持った。木に(確か木だったような。記憶があいまい)釘を打ち付け、みんなで一つの作品として仕上げるといった変わったものもあった。(私も参加しました)翌々年、清里現代美術館で彼女の作品を見た。それ以降、彼女の作品を目にすることはなかった。
ミック・ジャガーは彼女を嫌っていた。ジョンは彼女と付き合い始めてから交友関係が閉鎖的になったと何かの本で読んだ。きっとポール・マッカートニーも同じように思っていたのだと思う。ヨーコがジョンを独占してしまったんだと。当時のヨーコは、おそらく多くのビートルズ・ファンに嫌われていたはずだ。
ヨーコの影響はとても大きかったと思う。ジョンが二人の間にできた子供、ショーンのために描いた絵本を見た時にそう思った。ヨーコはジョンにとっては間違いなくミューズだったはずだ。
番組内で、壊れた陶器の破片をつなぎ合わせ、元の状態に戻そうという作業をしていた。また、視聴者に壷の破片をプレゼントしていた。10年後にみんなで会って、壷を元通りに修復しようという事だった。なるほど、彼女らしい。彼女の作品は草月会館で見た時のものと変わっていない。発想が独創的でいて、なおかつ解りやすい。そこが彼女の魅力でもある。
2009年は千年に一度の年、《サイボーグ009 year》なのだそうです! 気が付かなかった!