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過去の独り言
NHKBSテレビの『アナザーストーリーズ「1980's CM黄金時代 3人の天才がいた」』を見た。子供の頃、眩しかった80年代の大人達。その中の一人にコピーライター糸井重里さんがいた。
『不思議、大好き。』というコピーはセンセーショナルだった。『おいしい生活』も衝撃だった。矢野顕子さんの歌声とセットでよく覚えてる。
子供だった80年代、クリエーターに憧れていた。音楽やアート、映画、広告の世界が眩しかった。そんなクリエイティブな世界のどこかで働きたいと思っていた。しかし、親の大反対に会い、堅実な(!?)道に進んだ。そして今つまらない大人になっている。
今となってはクリエイティブな世界に入ることはできないし、感性も鈍りまくりだ。でもこの番組を見て未来にウキウキしていた頃を思い出し、心が震えた。
千代の富士が亡くなった。61歳だった。私の記憶の中では一番強い横綱だ。
筋肉質でハンサムだった千代の富士。引退会見でさえも絵になる男だった。九重親方となり、千代大海が活躍していた頃には満面の笑みでテレビに出ていた。嬉しそうな笑顔が印象的だった。
心より御冥福をお祈りいたします。
初めて三谷幸喜さんを知ったのは『ラヂオの時間』だった。確か、公開された翌年のテレビ放映だったと思う。鑑賞後、この人は和製ビリー・ワイルダーだと思った。後日、三谷さんがワイルダーのファンであると知り、納得。またワイルダーの御宅へ訪問する正月深夜の番組を見た時は、なぜか嫉妬のような感情も湧き上がった。テレビに向って、いいな~と繰り返し言ってしまいました。この番組でワイルダーと三谷さんの初の共同作業として、一緒に窓を閉めた姿が忘れられません。
『ラヂオの時間』に感動し、それまでほとんど見なかったテレビドラマを見るようになる。再放送の『王様のレストラン』では伏線の巧みさに感動し『古畑任三郎』では和製『刑事コロンボ』を楽しんだ。『合い言葉は勇気』や『総理と呼ばないで』では人間臭い小心者にエールを送った。
三谷作品の登場人物は画面に出てないときにも生活があり、愛情があり、パーソナリティが確立されている。だから一人一人が力強いのだ。
『ラヂオの時間』はテレビ放映の鑑賞後、映画館で見たいと思い続け、レンタルビデオなども見ずにいたけれど、十数年越しにキネマ旬報シアターで叶った。
今日、日本が命名権を持つ原子番号113番の元素の名に『ニホニウム』を提案すると発表された。
『ジャパニウム』になると思っていたのでピンとこなかった。『ジャパニウム』だと元素記号がJpで、Jから始まる初めての元素になるということもありかっこいいと思っていたが、日本を軽蔑する言葉『ジャップ』に似ているからと反対意見があったらしい。
『ニホニウム』は『Nihonium』と表記するらしい。『Nihon』+『ium』なわけだ。『Japan』ではなく『Nihon』が周期上に表記されると思うとなんだか急に愉快になってきた。周期表に日本語が表記されるのだ!
ニホニウム、Nh、まだ候補名にすぎない。正式に決まるのは年末になるという。このまま『ニホニウム』に決定してほしいな。
5月27日、伊勢志摩サミットを終えたバラク・オバマ米大統領が広島を訪問した。核廃絶をいろんな人が訴えているけどリップサービスだろうし実現は無理だろうと思っている。
ノーベル平和賞を受賞したオバマ米大統領は少なくともリップサービスだけでなく、心もあるんだなって思った。大統領の職を離れてからの氏の影響力がどれだけあるかわからないし、現実的に核兵器の廃絶は難しいのだろうけど、世界のトップにこんな人もいるんだと、ちょっと救われたように思った。
デヴィッド・ボウイが亡くなった。69歳だそうだ。体調を崩していることも知らなかった。先日新しいCDをリリースしたばかりで、当然元気に活動しているのだと思っていた。本当に驚いた。
自分が親しんだミュージシャンが、事故やドラッグではなく病気で亡くなるというのがちょっとショックだ。病気は年齢とは関係ないが、生涯を閉じる年齢になってきているということなのだろう。もっとも、10代でロックと出会った私が40代後半になってきてるのだから、ミュージシャンが高齢になっていくのは当然なのだ。
本当に残念だ。御冥福を心よりお祈りいたします。